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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記1月7日(月)

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  「原発事故は何故くりかえすのか」    高木仁三郎 2000年12月刊

 今からちょうど12年前の発刊。きしくも辰年から巳年に移り変わろうとする時季だった。本書は身の丈17cmほどの「小さな」冊子。しかし、その「内容」たるや実に「大きく」「重い」本だ。作者は群馬の生んだ「核化学者」高木仁三郎。皮肉なことに3.11の福一原発事故以降その存在と名前を全国に広めた人だ。原発の導入に力を入れ、日本の原子力政策に多大な影響力を及ばしたのが、「中曽根康弘」という群馬の政治家であるのと対極的に...、「反原発」の旗を掲げ正に一生を賭け、自らの命と引き換えに、核亡き世界のために全力で力を尽くした筆者とが、同じ群馬県出身者というのも、大きな皮肉と言わずして何と言おう。
 本書が書かれた1年前は、joc東海村の核燃料再処理工場において「臨界事故」が発生し作業員2名が命を落とした年だった。それ以前から氏は日本の原子力事業の実態につき、強い疑問と危惧の念を抱き機会あるごとに警鐘を鳴らしていたのだ。そんな矢先の重大な事故の発生、に氏をはじめ日本中が大慌てしている時だった。筆者は日本の原子力行政や原子力産業界のあり方を厳しく見つめ、専門家の立場から率直に反対すべき事には決然と批判をしていたのだ。しかし、その声に反して原子力の現場は次から次と、重大な事故を重ねていったのだ。高木氏の警告を業界や為政者が親身に聞いて、真剣にに対策を取っていれば、あるいは「福島第一事故」は免れたかもしれないのだ。何と12年も前の話なのだ。それだけに、逆に現実の結果がいかにも空しく、その責任を誰に向けるべきなのか、我々は答えを出し切れていない。だが、「この次は?」という仮定はもう残されていない。氏が命の代償のように訴えた本書の中身は、読んだ人間がこれからの生き様のなかで受け継ぐ「責任」があるといえよう。氏の言葉を借りれば、一人ひとりがそれぞれ公共性を有した存在なのだから。
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by tomcorder | 2013-01-07 21:03 | 日記