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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記2月1日(金)

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 「原子力の社会史」  吉岡斉  1999年4月刊

作者吉岡斉(ひとし)氏は1953年生まれの理学博士であり、専門は科学史。本書は「日本における原子力開発利用の、草創期から1990年代半ば過ぎまでの大きな流れについて、批判的な歴史家の立場から歴史的な鳥瞰図を与えることを目差している。(筆者弁)」批判的な立場とは「反共感的」立場を堅持することであり、「原子力共同体」からは距離を置く立場にあり、なおかつ専門的知識に恵まれた環境で、持続的に研究を続けてきた筆者ならではの成せる業である。
 福島第一原発事故を経験した今となっては、歴史を遡って検証しているような読み方も出来るが、本書が発刊された20世紀末のデータや価値観で考えても、氏の論脈は客観性を十分備えており、逆に言えばこの時点で福島の事故を予見する可能性も内在させていた。冷静な「歴史家」の視点にストイックなまでにこだわり続けたことが、逆に鮮明に...原発を巡る本国の様々な状況の異常性が、かえってリアリテェイをもって伝わってくるのである。客観性が問われる諸問題が「皮肉なことに」事故を通して「客観性」を証明してきたことは悲しい史実でもある。
 筆者は終末部分で、20世紀末の時点での考えられる日本の原発政策の4つのオプションを提示した。すなわち
①脱原子力②軽水炉・直接処分③軽水炉・再処理④高速増殖炉の4つの選択肢である。氏はこれらに対し、考え得る総合評価を添えている。健気にも、「状況によっては変化もあり得る」と謙虚に語っているが、素人が考えても現時点で他の価値判断はあり得ないだろう。
 きしくも先日、数年ぶりに政権に復帰した安部総理は、福島原発事故後の見通しに関連して、「福島原発とは違う、全く新しい日本型原発を目差そう」と語った。冗談は通用しない。
 日本の原発は「政治の問題」であり、「科学の問題」として扱われなかった。その結果数々の事故を繰り返した。そして今、これだけの危機的状況を前にして、総理たる人間の口からも、「科学を学んだことがない」との本音を聞かされ続けるのか?不幸な国民を前にして。
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by tomcorder | 2013-02-02 15:48 | 日記