ブログトップ

渡霧吐夢世界

tomcorder.exblog.jp

薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記2月3日(日)

a0292328_1939531.jpg

 「これだけは伝えておきたい、ビキニ事件の表と裏」 
                     第五福竜丸 元乗組員 大石又七 2007年7月刊

 私が「第五福竜丸被曝事件」をはじめて知った(目にした)のは、満5歳より前だった。本書で語られたごとく、焼津から出港したまぐろ漁船第五福竜丸が、マーシャル諸島ビキニ環礁で行われた、アメリカの水爆実験で被爆したのは、1954年、3月1日の未明のことだった。それから2週間ほどたって本国にもどると、日本中に漁船員が核実験地域付近で被爆したニュースが知れ渡った。5歳にも満たなかった私が何故ニュースを覚えているのか、それには訳がある。新聞も読めない幼児が何故そのようなショッキングな記事を記憶に留めていたのか?・・・私はこのニュースをラジオでも、新聞でもなく「テレビ」で目にしたのである。私にとってもほとんど「生まれてはじめて見るテレビニュース」だった。昭和29年のことである。訳あって私は町内でも極めて早い時期にテレビジョンを視聴できる環境にあった。はじめて見る10インチテレビ受像機に飛び込んできたのが、この「第五福龍丸」の映像だったのである。まだ内容を理解する力はなかったが、映像の力はたいしたもので、まだ学齢以下の私にも「漁船が恐ろしい体験をして帰ってきた」ということはすぐに伝わったのである。正に「テレビ初体験」の事件であったので、その時の映像は今でもしっかり頭に残っている。その当時はだいぶ騒がれ問題になっていたようだったが、私が成長するにつれ、世の中から注目度が薄れていったようだった。成人してからも、「漁船が被爆した」という知識はあったが、その具体的内容や国としての対応や、被害者のその後の経過については、特別の意識もなかった。しかし、今回この書に巡り遭い、この事件の背後にこのように深刻かつ重大な問題が存在していたことを知り、半世紀以上前の事件が自分にとっても「リアリテイ」をもって蘇ったような印象を受けた。被害者の皆さんはどれだけの苦しみと悔しさに堪えて生きてきたのだろう。戦後間もない不安定な時代だったとはいえ、日本のおかれた位置や政治家の対応が情けなくも、腹立たしさを感じる。しかし半世紀を経過した今、果たして我が国は「その頃とは違う堂々と物を言う国」になっただろうか。
それどころか、3.11の震災後の原発事故では、「自国の核」によって「自国民が被爆」する惨事を巻き起こしてしまったのだ。広島、長崎後にこの「第五福龍丸事件」を経験したこの国は本当に「核の脅威」を自覚してきたのだろうか?我が国にとって、全国民が絶対に忘れてはいけない事件であったはずだ。そのことを踏まえなければ「福島以降」も絶対に見えてはこないのではないだろうか。全国民があらゆる核に立ち向かう姿勢にならなければ「犠牲」になった人々が浮かばれないではないか.
[PR]
by tomcorder | 2013-02-03 19:41 | 日記