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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記4月25日(金)



「電気代500円。贅沢な毎日」 アズマカナコ2013年4月刊
電気代500円。年のために言っておく。1日当たりではない。何と1か月分である。しかも夫婦子供2人けい4人の家族が持家に同居してのはなしである。それも昭和30年代ではなく2013年現在。まさしく現代の東京郊外での実体験である。「そんな馬鹿な」と感ずる節もあるだろう。まず基本料金でさえ1000円以下にするのは、そこそこ難しいい。それなのに500円ということは。基本料金が273円の契約だということだ。結果的に使用量は223円ということにる。この額で収めるためには、使える電力はわずかな照明くらいだ。実際筆者は、洗濯機も冷蔵庫も使わない。勿論エアコンもない。テレビは見たい時のみ押し入れからだすという。基本的に見ないのである。つまる徹底的に「電気」から縁をl切った生活をしているのだ。しかし、筆者はそれで「「貧しさ」や「苦しさ」は少しも感じないという。逆に、電気から「自立し」「自分のやるたい生活のスタイルを実践できるので、かえって「生活しやすい」のだという。おおくの読者にとって「それは無理だ」と感ずるかもしれない。しかし、不思議なことに作者はとても満足そうに自分の体験を一気に語っている。簡単に言えば<好きだから>やっているということなのだ。確かに人間「自分で納得してやる」ことが一番気分がいい。実際私自身も3年前からテレビと縁を切る生活を始めたが、やった見ると、これが意外と「快適」なのだ。テレビをもない時間が返って「おいしい時間」に感じられっるようになるのだ。不思議なことに自分の時間んが前より増えたような錯覚さえ感じるようになるのだ。それにしても作者は徹底していて、なかなか真似をすることは困難だとは思う。だが、ある程度の年齢を経た世代なら「一昔前」ならどこの家庭でもやっていたようなことなのだ。自分自身そのころの(昭和30年代)生活を回顧してみて、「そんなにも大変な生活」だったろうか。私なりの実感としては「そうでもなかった」と言える。確かに当時は電化製品も普及しておらず「やりたくても術がなかった」電化生活だったから、特別の不自由さも感じなかったわけだ。しかし、今それと同じことをやるとなると、非常に困難さを体験せざるをえないだろう。けれど、私的、個人的には、その頃の生活が懐かしくも思い出される。「不便さの代償」に何か「大事な掛け替えのないもの」が満たされていた時代でもあったように思うのだ。筆者は私よりづっと若く、そのような実体験もないのによくもこのような、「タイムトンネル」越えをしたような生活が実行できるのを驚嘆せざるを得ない。
ただ熟年世代からみれば、決してすべてが否定的に判断されるべきではなく、逆にkのような生活スタイルに「重要な価値」が秘められていると認めざるを得ない。原発問題も、決して無関係ではない。欲望のままに原発の推進に全体として進んできたことが、取り返しのつかない社会を形成するに至った。筆者は決して原発のことは一言も語っていないが、本気で脱原発社会を目指すなら、この著で語られるような「生活の質」を自分自身の問題として、切り開く必要があると痛感する。「電力の浪費」を続けながら「脱原発」を語るというのは間違いだろう。
別の角度から、あるべきエネルギー需要の姿を探るためのヒントとして。本著は私にとって、意味のある作品に映った。もう少しこの著者の活動に注目してみたい。
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by tomcorder | 2014-04-26 00:53 | 日記