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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記5月19日(月)


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 「それでも日本人は原発を選んだ」<東海村と原子力ムラの半世紀>
                    朝日新聞取材班   2014年2月刊
国民のうちどれくらいの人が知っているだろうか。「2011年3月11日。冷却が簡単には出来ず、止むを得ずベントを繰り返していたのは、福島第一原発だけではなかった。」 正に衝撃の事実だが、これは紛れもない事実なのだ。東海村第2原発。何と170回ものベントを繰り返し、3月15日になりやっと「冷温停止」にこぎつけることができた。もし、冷却に失敗していたとしたら、と想像するだけで気を失いそうになるような話だが、いったいこのようなニュースがテレビ等で流されただろうか。それだけではない。月日も同じ3.11。1997年3月11日。すなわち年前の3.11に、同じく東海第2原発で火災爆発事故が起きていた。いったいどれだけの国民が認識していただろうか。つまり3.11は「2度目
」だったのだ。おそらく多くの国民が知らない事実。それども原発を続けるのか?
現に、安倍政権は審査を通過した原発は再稼働させると「公言」したばかりだ。一体どんな価値観に基づいて原発稼働を推進しようとしているのだろう。
 この著は、日本の原子力発電の発祥の地であり、今も原子力関連施設が隣接していて、我が国の核関連施設の「特別の地区」としてその存在を際立てている、茨城県東海村の歴史的経過と本国の原子力事情の足跡を、地域に焦点を当てつつ具体的に綴ったものである。戦後の政治の一断面とも言えるし、関東平野の貧しい自治体が、国家の戦略の狭間で翻弄され続けた歴史でもある。
 そもそも、なぜ東海村が原子力という国家の未来を左右する重大な使命を背負う地域に選定されたのか、そのスタートラインからして極めて「不透明」であり、「政治的作略」や有力議員や財界、政界、学界の複雑な利害、理念が絡んでの、「計算ずく」の結果であった。つまり、当時も今も共通するような「打算の結果」として、原発は立地し、極めて「意図的」に「核の平和利用」のキャンペーに載せられ、あらゆる手段を使って、すさまじいい「物量」を伴った攻撃として進められたのだ。その意味合いにおいて、決して「クリーンなエネルギー」などとは名実ともに言い難い代物ではあった。
皮肉にも、第五福竜丸のビキニ被爆から、放射能の被曝被害が国を挙げての問題となり、人類初の核の悲劇を体験した我が国に、国民的な問題意識を持って、「反核運動」が展開しようとしているときだった。国民運動としての盛り上がりを見せ、核保有国、特に米国に対する批判と反感が高まる中、極めて政治的に「核の平和利用」などという言葉が一一人歩きを始めてしまった。勿論、アイゼンハワーの口から出た、超政治的戦術用語であったわけであるが、日本の政界の大物の戦略にも合致し、保守政党の思惑にまんまと乗せられてしまった。というのが客観的な経過であったようだ。良心的とも言える学者たちの危惧の念もあったようだが、力関係として政治家の戦略を超えることはできなかった。一般国民は科学的知識のなさから、ことの真相を客観的に捉えることが出来ず、血生臭い「政争」に効果的な運動を展開することが出来ず、ずるずると原発建設、稼働を見逃してしまったのだ。
 もし、今のような客観知識や、原子力の真の姿が広く国民に理解されていたら、又違った展開が存在したかもしれない。しかし、原発事故を起こしてしまった現在、「もし」を言っている余裕はない。東海村の歴史を見つめ、今後あるべき日本のエネルギー政策を国民の理解の上に進めて行かなければ、「福島の将来」も見えてこないはずである。地震の警告も叫ばれている日本列島で、本当に原発再稼働が可能なのか慎重に考えれば、安易に見切り発車することなど到底考えられないではないか。
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by tomcorder | 2014-05-19 17:29 | 日記