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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記7月30日(水)

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  「こうしてテレビは始まった」    有馬哲夫著  2013年 12月刊

「戦後GHQは外国企業が日本でビジネスや会社を興そうと申請しても、なかなか許可を出さなかった。(外国企業から守ろうとしていた)ただし、例外として、通信社・雑誌社・映画会社・広告会社・等は認めていた。」このことは「対日心理作戦」に一役買っていたと認められる。(筆者弁)
 戦後の混乱期を過ぎ、日本経済が徐々に成長の兆しを見せ始めたころ、「日本にテレビ放送の実現」を考えていた人びとの存在があった。その始まりは米国の対日政策の一環の上にあり、商業的、経済的意図と米国の安全保障政策との両面からプラン作りが始まった。
ことの始まりは米国における「ラジオの父」と称されるリードウ・フォーレストがラジオ、トーキー映画の実用化からの関連で日本の皆川芳造を通して、テレビ放送の実現を図ろうとしたことであると筆者は語る。当初GHQは日本放送協会を民主化し、NHKを中心にテレビ放送を実現しようとする考えであったが、途中からNHKの姿勢に政治的な危険性を感じ、方針を変えNHKから左翼的要素を排除するようになった。そしてNHKを巧みに利用しつつ、NHKに対抗する勢力として民放の存在を高めることを考えていた。
GHQ内の覇権争いや米国内の政治的な曲折から日米の利害をつなぐ交渉人として、GHQに通じていた柴田秀利が精力的に米国で活動し、結果としてその後の日本のテレビ放送開始への中心的人物、正力松太郎が表舞台に登場することとなる。正力は読売新聞や政治的背景をバックにして次々と計画を実現し、最初の民法テレビ「日本テレビ」を開局した。アメリカの意志を感じとり巧みに動き、アメリカの支援を利用し多くのアメリカ版放送を国内に流し、自己の商業的・政治的成功と共に、アメリカの対日情報政策に寄与した。しかしながら、正力はその政治的野心が災いして、やがては「主人公」の座から引きずり降ろされた。「押しのけた人間が押しのけられた」(筆者言)
そもそも日本へのテレビ放送の導入は、最初から「反共の手段」としての動機からであり、「マイクロ波構想」もアメリカの軍事戦略上の必要性から浮かび上がったものであった。又テレビ放送で流される番組もVOA(Voice Of America)の内容をそのまま流そうとする目論見であった。実際に、米国の意図はそのまま実現されたわけではないが、「効果」の面からは十分にアメリカは意図した通りの結果をもたらすことができた。テレビを通し莫大な量の「アメリカ的文化」が日本の家庭に充満し、「アメリカ的物の考え」「アメリカ的価値観」が日本を変容させて行った。
勿論、日本人が享受したものも大きかっただろう。家庭での団らんを明るくし、娯楽を楽しむゆとりを与え、様々な情報の拡大を実現した。報道的な番組でも日本中に即座に生々しい映像を届けることが可能になった。
 しかし、時代が進む中で、テレビ放送の持つ負の側面、「魔力性」にも目を向けねばならない。3.11以降明らかになったように、テレビの持つ「故意の情報操作性」や「洗脳効果」に気が付かねばならないのが現代の状況だ。テレビ導入期に画された「アメリカの意図」が今現在も「電磁波を放っている」ことを忘れてはいけない。きしくも、テレビから「原発」に目を向けた正力の辿った道は、結果的に「福島第一原発事故」に通じてしまった。事故を起こすために始めたことではないが、様々な「政治的圧力」により目的を貫徹するという手法は、テレビ導入のそれと極めて同質と思える。
「日本テレビ」という名称が何故かブラックジョークに聞こえてくる。
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by tomcorder | 2014-07-30 10:44 | 日記