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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記8月2日(土)



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 「誰も知らなかった小さな町の原子力戦争」  田島裕起(やすおき)
                            2008年3月刊
本書のタイトルを見たとき、「反原発を貫いた自治体のドキュメントか」とかってに決めつけてしまった。数ページ進んだとき、はっきりと自分の「早とちり」に気が付いた。
本著は福島第一原発事故の発生する約3年前に刊行された。今から数えればおよそ6年半前になる。今もしこの本の著者にインタビューしたとしたら、どんな言葉が返ってくるだろうか?おそらく本著で何度も力説しているような内容は、とてもではないが2度と言葉にできないんではないだろうか。それくらい福島第一原発事故の衝撃は計り知れないものがあった。
本書の著者田島裕起氏はかつて、高知県東洋町の町長であった。その前は26年間東洋町の議会の共産党所属の議員を務めていた。町長選に立候補を決めたとき党を離れ、「無所属」で町長選に挑むことにしたと本人は説明している。共産党の議員であったことも関連して、かつては「反核」の運動もしていたという。それが町長に当選してからは、「核兵器は反対、しかし原発等の平和利用は推進」という立場に変わったという。そして3期目の2007年の初頭、町の財政と未来への展望を期すという理由により、「高レベル放射性廃棄物の最終処分施設の設置可能性を調査する区域」への応募を「町長の個人判断」で決めたのだ。もちろん「調査段階でも」町へは莫大な交付金が支給される。しかも後から「やめてもいい」「交付金は返さなくてもいい」という都合のいい言い訳で、町を導こうとしたのだ。当然のことながら、議会をはじめ町全体を揺るがす大議論が始まった。
「放射性廃棄物」という極めて毒性の強い代物に対し、いくら「町おこし」になるとはいえ、とてつもない危険性を巻き込む可能性もある施設の建設を「独断で」進めようとしていると訴え、町長に対し大「反対運動」が巻き起こった。著者はその運動に対し「過激な反核派」との文言で、極めて感情的排他的な決めつけ方をしているが、現在の世論から考えれば、反対派の理論の方がはるかに理に適っており、冷静な判断だったと言わざるを得ない。著者は切々と、東洋町のビジョンを熱く語り、将来を託す幼き町民への愛情を表現しており、その言葉にはそれなりの熱意が感じられるかも知れない。しかし、筋道だって冷静に考えれば、多くの危険性と立場立場の「欲」で固められており、とても将来延々と続く命に対し決して誠意ある対応とは言えないだろう。言葉は荒いことを承知していえば、結局は「金が欲しい」だけの話なのだ。昨今、I環境相の失言が大分話題になったが、正にその類の価値観がくりかえし述べられていて、「よだれたらたら」の話と聞こえる。
 原発誘致問題で何度も指摘されたように、「札束で人を動かす」国のエネルギー政策の貪欲さがここにも明白に表れている。福島事故の経験から国民の多くは、「金で買えないことの大切さ」を学んだはずである。現に3.11以前に、原発誘致に反対し、力強く、我慢強く、原発建設を阻んできた地域、自治体も全国には少なくないのだ。
筆者が教科書の記載に絡めて、次のように言っている。「マスメディアに流されてはいけない。世論操作が行われることがある。・・・・国民はメデイアの情報を鵜呑みにするのでなく・・・きちんと判断することが大切である。」とこともあろうに、扶桑社の「中学社旗新改訂公民教科書」の表現を借りて力説している。
 失礼かもしれないがこれには私も「笑ってしまった」言っていることはごもっとも、その通り。しかし、そのことを最も必要としているのは筆者自身ではないか。政府、及び「原子力ムラ」に取り込まれ。自分自身が「洗脳されてしまった」ことに気が付かない人物が、自治体の長にあるとしたら。これは喜劇というよりは悲劇だ。今後とも悲劇の起こることのないことを心より祈りたい。
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by tomcorder | 2014-08-02 16:20 | 日記