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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記11月4日(火)

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  「始まっている未来」  <新しい経済学は可能か>
               宇沢弘文  内橋克人  2009年10月刊
本書の対談部分4回は月刊誌「世界」に掲載された連続対談「新しい経済学は可能か」(2009年4~7月号)に掲載されたものである。
 今年2014年日本を代表する「行動する経済学者」宇沢弘文は惜しまれつつその生涯を閉じた。2度とその声を聴くことはできなくなったが、彼の残した足跡とその熱意は脈々と根付き、新しい時代の経済学の胎動を確実に波及させつつある。
パックス・アメリカーナと市場原理主義の激しいい豪雨の降り続く中、多大な傷痕を残したこの時代の終焉と新しい価値観に根差した確たる足取りで始まった新しい時代への展望が、対談の進行とともに熱く語られている。「社会的共通資本」を機軸概念とする宇沢経済学が、歴史を乗り越えた「解」であることを立証しようとしている。
<第1回>「市場原理主義というゴスペル」
二つの世界恐慌を体験した現代人は、過去から学ばなければならない。ニューディール政策がとられた頃、米国では人口の上位5%が全個人所得の3分の1を占めていた。現代のアメリカでは平均所得の中位以下の個人所得の合計に相当する富を400人の超富裕層が独占しているという。又4%の所得5000万以上の超富裕層が総所得の65%を手にしているという。それなのに、過剰な海外市場への依存も、「改革が足りなかったからこうなった」という学者さえいるのだ。「市場原理主義の経済学」は反ケインズ主義の主張の中で、新自由主義の極端な形として、頭角を現した。ミルトン・フリードマンを中心とした学者集団により勢力を広めた。パックスアメリカーナの根源にある考えであり、「法を犯さない限り何をやってもいい」という極論に走り、戦争さえも範疇に入る。ITバブル時代超富裕層への大幅減税と社会保障関係の予算カットを行った。今の日本と類似している。「規制緩和万能論」「聖域なき規制緩和」などをスローガンにし、「食料や医薬品に対する安全規制は技術進歩を遅らせ、社会に弊害をもたらす」とか「最低賃金法は雇用を阻害する」などと主張してきたのだ。又「派遣労働を規制すれば国際競争力が削がれる」とか「企業が海外移転してしまう」などとも言ってきた。オバマはこれに対して否定的な傾向を示した。「国民皆保険」をめざし、財政的なよりどころを「超富裕層への増税」で賄おうとしたのだ。日本はどうなっているのだろう。我が国は真逆ではないか。アメリカの遥か後ろを追いかけてるのだ。
<第2回>「日本の危機はなぜこうも深いのか」
2009年3月日本では派遣労働者だけで40万人が職を失った。派遣労働法の改正(改悪)が行われ、経営者よりの雇用形態が進んだ。アメリカに対し日本の植民地化が進み、日米構造協議により、日本の道路を米国自動車業界に差出し、日本の農業をアメリカの余剰作物と交換により米国に差し出す結果となった。アメリカでもマッカーシズムが浸透しマルクス主義者やケインズ主義者に対する攻撃が激化したが、多くの経済学者が政治的な圧力を排除して学問の自由と研究者の良心を守るために闘った。我が国の経済学を守った学者達も果敢に行動した。
<第3回>「人間らしく生きるための経済学へ」
内橋氏の言葉を借りれば、地方の衰退は国の政策がもたらしたものの結果であり、地方自らが勝手に飲み食いして赤字を重ねたわけではないという。国の方針で630兆円の公共投資を、生産性向上に結びつかない条件で地方にばら撒き、借金を強要したのだという。結果として巨額の赤字を残し、赤字病院の切り捨てや住民サービスの交代が余儀なくされた。高度経済成長のもたらした帰結・公害、放射性廃棄物、等々市場経済的な計算に乗らない費用も考慮しなければならない問題である。竹中平蔵氏の足跡についても一言述べられている。論文発表のモラルとか、アメリカでの体験とのかかわりとか、「自分の説」のように言っているが、民意といいつつ「民論」を装いつつ「権論」をまき散らしているという。パックスアメリカーナ体制に一番厳しく取り込められたのが、日本だという事実は見逃せない。経済学は何故マネー暴走に歯止めをかけられなかったかという厳しい問いかけの中、最後まで抵抗したのが、大学であった。大学は宇沢氏の論では「社会共通資本」であるが、国立大学法人化により人事権は教授会から文部省の天下りに移された。大学の品位すっかはすっかり落ちたという。パックスアメリカーナとは日本の植民地化によってアメリカが救われることだという。その暴力性は時代に反逆するものであり、これからの経済は資本主義、社会主義の弊害、幻想を乗り越えた先にあるべきというのが氏の主張である。
<第4回>「新しい経済学の伊吹」
今の経済学はケインズともマルクスとも違う、経済の原点を忘れて時の権力に迎合するような考え方で、根本にあるのは市場原理主義という、儲けることを人生最大の目的にしていて人間的側面は無視していいという考え方がフリードマン以来大きな流れになっている。これに対し宇沢氏は「共生セクター」の原理、共生経済の在り方が重要だと説く。簡単に言えば「競争から共生」へいう流れと理解してよいのだろうか。「市場をコントロール」して行くことの必要性を強調している。これは市場が主でなく、人間が主語でなければならないという考えである。パックスアメリカーナからから新たな経済、共生経済を目指す人びとへの社会的指向性が見えてきたのに、現在の日本政府は新自由主義的な色彩の強い、歴史に逆らうような政策に明け暮れている。アベノミクスの矢印は完全に「過去向き」に進んでいる。
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by tomcorder | 2014-11-04 18:47 | 日記