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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記12月16日(火)

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 「日本は戦争をするのか」~集団的自衛権と自衛隊~
                     半田滋  2014年5月刊

2014年7月1日安倍晋三総理の率いる第2次安倍内閣は、「執念の」というべきか、強引な手法で「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を断行した。歴代内閣が決して超えようとしなかった、戦後の「不文律」を先を急ぐように唐突に書き換える蛮行を決行した。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今正に「日本のかたち」を変えようと躍起になっている。政府は何を議論しているのか。現実的にはどうなのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛問題を取材してきた著者の渾身の一冊。というのが本書の帯紹で綴られている。
 著者半田滋氏は1955年生まれのジャーナリスト。下野新聞社を経て東京新聞の社会部記者、編集委員、論説委員を歴任。安倍政権の特質と問題点を辛口に分析し、我が国のあるべき姿を求め、鋭い視点から危険な領域に足を踏み入れつつある現状に強い警鐘、警告を発している。
 「日本は戦争をするだろうか」正にこれ以上の政治問題についてのテーマはない。この究極の疑問に対し、著者は「安倍政権が長く続けば続くほどその可能性は高まる」と開口一番断言している。憲法第9条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道筋が付けられるからに他ならない。と言い切っている。12月14日の衆議院選の結果を踏まえても、この言葉が現実化する恐れは日に日に高まっている、と考えるのは作者の言葉を待つまでもない。その作者の言葉を借りるなら、「国民の疑問に丁寧に答え、不安を解消して行くのが<政治家の務め>のはずだが、安倍首相は違う。国内においては<我が国を取りまく安全保障環境一層悪化している>と不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張り上げる。その一方で、過去の侵略戦争を否定するかのように、<侵略の定義は定まっていない>と公言し、米国のメッセージを無視して、靖国神社に参拝した。外交においては、中国、韓国ばかりか米国までも刺激し続け、安全保障環境を自ら悪化させている。・・・・・・」と手厳しい。しかし、客観的に見ればこれが「実像」であり、少なくても「世界の見方」は「安倍戦略は妥当」とは到底評価されていないだろう。それは各国の主要報道紙の取り上げ方からみてもうかがえることであり、世界の首脳会議での安倍首相と各国首脳との接触量の少なさからも読み取れることではなかろうか。
 「戦後レジームの脱却」などと手前味噌のキャッチフレーズを執拗に自己宣伝し続ける首相ではあるが、その言葉の裏には、個人的「怨念」とも言うべき偏向性が垣間見られるし、集団的自衛権行使容認にまで踏み込む過程、の背景を眺めてみれば、それは正に裏からコントロールを図る「ジャパンハンドラース」のシナリオそのものであり、単にその筋書きに沿って芝居を演じているにすぎないと映ってしまう。
 「脱却したい」のは自らの意志ではなく、アメリカのご都合主義でもある。「ハンドラーズ」たちの言葉の節々からも、アメリカの「国益」のための「集団的自衛権」であることは歴然としている。その意味でも安倍政権の「暴走ぶり」は「都合のいい限り」は「受け入れられる」かもしれない。しかし、日中の衝突、日韓の衝突を米国が本当に歓迎するはずはなく、勘違いした安倍政権が「脱線」すればすぐに「しっぺ返し」が返ってくることは容易に想像できる。米国から「強固な国粋主義者」と呼ばれている安倍首相の驕り、勘違いの数々と、自衛隊の活動の落差も本著には丁寧に解説されている。
 そして作者は結んでいる「集団的自衛権行使に踏み切っても、犠牲になるのは自衛官であって、政治家ではない。人命軽視、責任回避は旧日本軍の専売特許だったが、現代の政治家にも当てはまるのかも知れない。」

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by tomcorder | 2014-12-16 20:17 | 日記