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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

読書日記8月24日(月)

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「原発ゼロプログラム」 ~技術の現状と私たちの挑戦~
                     安斎育郎、舘野淳、竹濱朝美
                                  2013.3.11刊

本書刊行の日は今から1年半前の3月11日、何と「あの日」からちょうど丸2年後の日であった。その当時の社会状況を思い起こすと、原発事故の衝撃は大きく様々な情報が飛び交っていた。悲観的なものから楽観的なものまで、その幅は広く一般庶民は何を信用していいのか考えあぐんでいた、というのが大多数の実態ではなかったろうか。そんな中で2012年の12月16日に衆議院選挙があり各党は、トーンの差こそあれ、総じて「原発ゼロへの」方向性を掲げていた。そして投票の結果として、自公中心の現与党が数字の上では圧倒的多数の議席を獲得して、政権に復帰した。選挙の分析は他の場に譲るとして、果してこの選挙で、原発事故への国民の不安や思いは投影されたのであろうか。端的に言えば「原発は選挙の争点」になったのだろうか。甚だ疑わしく、日本の世論と政治との相関関係に不信感さえ持ちたくなるような結果であった。その後の自公の原発依存への後戻りの実態を見れば、「脱原発依存」という言葉の欺瞞性に憤りを感じる読者も多いことだろうと想像する。
 本書は福島事故がどのようにして起こり、何をもたらしたのかを概括し、被災地と日本社会が再生するためには何が必要で、脱原発にはどんな課題と展望があるのか明らかにしようとするものであり、編集の中心は、安斎育郎(放射線防護学)舘野淳(核燃料工学)竹濱朝美(環境社会学)の3名である。全編の構成は第一章「福島原発事故がもたらしたもの」、第二章「原発ゼロへの技術的アプローチ」、第三章「原発ゼロのための再生可能エネルギー普及策」、第四章「原発開発の歴史と原発ゼロ社会への展望」の4編構成になっている。
第一章では福島原発事故の現状(その時点で)をどう見るかについて客観的論考を進めている。客観事実から分かる冷静な分析を展開しているといえる。事故の現状、5重の安全装置の崩壊、核燃料サイクルの破綻、放射線被曝の可能性、等々不確定要素も含め、未曽有の事故の莫大な被害の実態とと今後の予想を概観している。極端な例かも知れないが、ECRRのクリス・バズビー氏の説によれば、「福島の事故起因で今後数十万人が死亡する」との予想が発表されている。
第2章では、原発ゼロを実現するためにはどんな技術的アプローチが必要か、について広範囲に項目を挙げ説明されている。その概要は①軽水炉からの離脱と原子炉の解体②福一事故の収束と炉心取り出し③使用済み核燃料と高レベル廃棄物の処分④六ヶ所再処理工場の問題点と今後⑤今後の原子力技術、である。
構造的欠陥のある軽水炉から離脱し、廃棄物、使用燃料の仮処分技術確立までは少なくても原発利用の停止が必要と筆者は説いている。後始末のできない原発は「トイレなきマンション」とは通説の通りである。付随して「もんじゅ」は現状では「お荷物」以上の何物でもなく、即刻廃炉に向かうべきである。プルトニウム抽出のための再処理は中止すべき(核兵器を作る目的がない限り)であるが、技術の将来性は否定しないというのが筆者のスタンス。産官学の癒着体制も解体すべきと主張している。
福島第一原発現場で今後も確実に続くことは、汚染水の処分と冷却・廃棄物の処分・燃料の取り出し・炉心取り出しと解体・等である。なお汚染水の総量はスリーマイル事故の10倍にもなっているという。炉心取り出しの例はスリーマイルの事故の例しかない。その時でも10年かかったそうであるが、福一についてはいまだその時期の予測すらたっていない。(東電発表は単なる希望にすぎない)また、使用済み燃料、廃棄物の処分についても我が国は確固たる見通しはたっていない。ガラス固体化の技術も外国頼みであり、自前の技術はまだ開発されていない。廃棄物の最終処分についても、以前は地層処理を行うことになっていたが、日本には適地がないとの専門家の説もあり、未だに候補地はあがっていない。
第三章では、再生エネルギーの今後について考察提案している。筆者のいう再生エネルギーの備えるべき条件として①原子力発電に代わりうる供給量②費用、コストがペイできるか③環境負荷に問題はないか④産業雇用の拡大を展開できるか・・・の4点を挙げている。
固定価格化買取り制度等の方法論が展開されているが、問題点もある。しかし、ドイツの等の先進例に学び、国家ぐるみの体制を持って臨めば、決して不可能とは思えない。ドイツでは送電経路に乗せる時、再生エネルギーの発電を優先させる義務がある。しかるに我が国は最近、太陽光発電に制限をかけるような動きさえある。この違いは何か。太陽光、風力、地熱、小水力、等々いずれをとっても我が国は恵まれた環境にあり、その意味では日本は「資源大国」なのだ。このような好条件にあるのに、再生エネルギーの普及が進まないととしたら、それは正に「政治の貧困」以外に理由はあり得ない
第四章では、原発開発の歴史と原発ゼロ社会の展望と名うって、原発の過去と未来を対比している。人災としてこれだけの被災者、避難者を出した原発は最早安全なシステムとは言えず、安全神話は完全に崩れ落ちた。今までの原発の歴史を概観すれば、①米国の人体実験的要素の強い、広島・長崎の被曝体験②戦後の米ソの核実験③原発の実用化と危険性④電力生産と原発⑤原子力ムラの形成・・・というような時期を経て歩んできた。筆者である安斎育郎氏は1972年の学術会議で原発の危険性を訴え、6つの点検基準を指摘した。すなわち、①自主的開発であること②経済性と安全性のどちらを優先するのか③自主的民主的な地域開発を行っているか④軍事用利用への歯止めはあるか⑤原発労働者と地域住民の安全は確保さているか⑥民主的行政が保障されているか・・・である。これらは今もその存在意義は失われていない。
 今後の原発ゼロをめぐる運動の要点として次のような観点を上げ、筆者は本書の締めくくりとしている。
①原発問題の深刻さを認識する
②計画的廃絶こそ必要との意識の共有
③主権者の主体的行動が不可欠だとの認識の共有
④原発ゼロの道を「立法化」する
⑤心情的訴えと科学的合理的な認識の結合をはかり原発ゼロへの「ロードマップ」を実践要求する
⑥被害者への支援と連帯
の6点である。いずれも欠くことのできない項目であり。運動が進められて行くどの時点においても忘れてはならない重要な理念と考えられる。
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by tomcorder | 2015-08-24 15:31 | 日記