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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

カテゴリ:日記( 153 )

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「集団的自衛権の焦点」     <限定容認をめぐる50の論点>
                                               2014年    松竹伸幸

 現在国会では、安全保障法案を巡って激しく与野党が対立している。何としても今国会中に戦争法案の成立を図りたい与党は、異例とも言える90日にもわたる長期の会期延長を決めた。戦後最長の通常国会となった。本法案の背骨となる集団的自衛権の容認に関しては、「違憲」であるとの非難がでており、リベラル野党は勿論、広く学者や文化人、有識者、元政治家等々、各界から政府の暴走を止めようとする声明が出されている。本書では、集団的自衛権容認に関わる疑問点や問題点を50の項目に絞り、質問に答える形式で、作者の解説並びに見解を簡潔に述べている。
 国会の内外でも様々な論議を呼びマスコミでも度々話題になった項目について明快な論拠を示し、わかり易く回答している。その基本姿勢は正しく「憲法にのっとって」であり、戦後の歴史を冷静に振り返り、現政権の脱線ぶりを鋭く論破している。
例えば、集団的自衛権が適用される「密接な関係にある国」とはまず米国以外には考えられないが、その米国は日本に対し集団的自衛権の行使を歓迎はするものの、「強要」はしていない。米国艦船を守るとか、「グレーゾーン」での出動とか、政府は苦しまぎれに浮足だった説明に終始しているが、これらは外国から見れば「軍事行動」と受け取られる可能性が強いと筆者は説く。
確かに中国の力任せの姿勢はアジア各国で緊張関係を高めてはいるが、日本の自衛隊が直接出動するようなことが起きれば、話はこじれることはあってもまとまることがないのは火をみるより明らかだろう。今まで我が国は「武力」を持って問題解決に当たったことはない。武力行使のないところに「武力」を使うことなど、憲法上は到底認められない。どんな紛争にも武力が使えると解釈するのは、ルール違反である。
集団的自衛権は国連憲章の理念にも矛盾する考えであり大国のエゴから生まれた、便宜的措置でもある。アメリカが集団的自衛権のもとにどのように侵略行為を行い、間違った殺戮を繰り返してきたかを振り返れば、この考えに組み込まれることがいかに危険であるか明白になってくる。
作者は主張する。「集団的自衛権」ではテロには対応できないと。
日本は70年近く非軍事に徹して国際平和に貢献してきた。この経験こそ日本の主張できる最大の戦略であり、安全保障の中心に置くべきである。
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by tomcorder | 2015-06-30 21:26 | 日記
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  「東京ブラックアウト」        若杉列   2014年12月刊

 大反響を呼んだ「原発ホワイトアウト」に続く第2弾。前作発表時に話題になった通り、作者「若杉列」氏は現在霞ヶ関のとある官庁に勤務する現役官僚であるという。さぞかし「犯人捜し」が激しい勢いで進められたことと想像するが、その割には以後関連した人物の特定は聞いていない。初作が発表されたころ、某テレビ番組降板騒ぎでマスコミを賑わした元経産省完了のK氏ではないかとの憶測が飛び交ったが、本人がはっきり否定したという情報は流れている。「いずれ顔は割れてくるだろう」との大方の見方ではあったが、今になってもそれに関した情報をマスコミで聞いたことがない。まことに不思議で真偽のほどを疑いたくなる話ではあるが、まさかこの想定事態が「フイクション」だとしたら、それは読者に対する「背信行為」になってしまうだろう。
 「現役官僚」という説明の通りだとしたら、片手間で原稿が書けるほど官僚というのは「暇」があるのだろうか、という批判の目で作品を見たくもなる。フイクションとは言っても内容は実にリアルで、実名こそ出していないものの、まるで現実の政官界の出来事を綴っているかのような「臨場感」に満ちている。おそらく実態もこのストーリーに近い状態で進行しているのだろうと、容易に想像できる。本作品はなかなかのアイデアに触発されたストーリーで、単純に「フイクション」だとするととても好奇心をそそる、スリリングな展開で読む者を楽しませてくれる。しかし、内部事情を熟知した役人の目で綴った、ノンフイクション作品としてみれば、天下を揺るがす大告発ノベルとしての性格を帯びてくる。とても「笑ってはいられない話」になってしまう。
本書は「娯楽本」なのか「告発本」なのか?
スタイル的にはどちらとも取れるだろう。しかし、その内容の構成と生々しい政治の匂いからして、本書は日本の原子力ムラの裏表を描く「風刺本」であり、わが国の原子力行政や官僚社界への告発の書になっている。我々が見ている日々のテレビや新聞の報道の「裏側」はおそらくこれに似た筋書きになっていると思わざるを得ない。
 現政権への厳しい問いかけが続く昨今、「裏の世界」で本書のようなやり取りがされているとしたら、原発は我が国の骨組みを溶かす「亡国のシステム」と言わざるをえない。文字通り我が国は原発とともにメルトダウン、メルトアウトする運命にあることは避けられない。
「世界レベルの安全基準」を超え、再稼働にばく進する我が国の原発政策。落とし穴は限りなく存在する。次回の大規模事故が発生すれば、間違いなく「国の形」が変わる。運が悪ければ沈没ならぬ「日本消滅」の事態になる。
戦争も原発事故も一部の人間の悪意によって始まり、一部の人間は真っ先に逃亡し、責任を免れる場に身を隠す。
 本著は筆者が忙しい日々の仕事の合間を割いて、世に投げかけた、原子力村の闇の「裏側を描き出すガイドブック」のようにも読める。ガイドブックが手に入れば、ひょっとして、間違った道を進み自爆しないような進路を、選択することが可能になるかも知れない。
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by tomcorder | 2015-06-14 18:59 | 日記
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  「国家の暴走」       古賀茂明 2011.9月刊

 全国に名前の知れ渡った元経産省官僚の古賀茂明氏の昨年秋に発売された注目の書。最近の話題では、「ニュースステーション」出演での「Iam not Abe 」
発言や番組への政府からの圧力あるなしに関しての暴露発言、古館一郎キャスターとの激論対決等々、テレビ以外のメディアに大いに「露出」を繰り返してきた人物である。その姿勢については賛否両論あるようではあるが、本著は氏の姿勢、主張を真っ向からぶつけた入魂の一冊になっている。
 タイトルが率直に示している通り、安倍政権への対決、挑戦の書であり、現政府の進む方向に対し根本的に否定的な見解を示し、我が国の進む方向性に警鐘を鳴らしている。確かに著者の言う通り、安倍政権の辿ってきた道、現在の状態を検証すると、かつての自民党政権とは大分在り様が変わってきている。
特に安全保障面での暴走が突出しており、集団的自衛権の閣内容認に始まり、果ては徴兵制の可能性や核開発までも懸念されるような、極めて危険性制の高い匂いを漂わせており、今まで超えられなかった高いハードルを一挙に超えようとしている最中ともみることができる。言葉では「平和のため」といいつつも、その裏で世論操作に迷走し、メデイアを動かし庶民をごまかし爆走せんとする息遣いを生々しく感ずることができる。
 経済的に割に合わないといわれている徴兵制を合法化するための、国防軍規定や軍法会議の復活により、若年層の軍人不足を補うために、憲法上の要請から兵員を要請できるようになる可能性さえ先には見えている。
 秘密保護法や日本版NSCがセットで効力を見せるようになり、4人の閣僚の判断で国民の生命が危機にさらされることが可能になる。たとえその事態に至っても秘密保護法で閉鎖的になっており、説明責任は果たされない。
 今安倍政権は正に「アメリカと一緒になって闘う日本に変身」する意欲に満々であるが、この変身にメリットはないと氏は言い切っている。氏の言葉によれば安倍晋三は経済に見合った軍事大国たる「強大国」に仲間入りすることを心から願っており、日米共通の価値観で安全保障を進めようとしているが、果たしてそれが真に、日本を守るために必要だろうか、疑問であり実益がないと思われる。
 中国の脅威を暗にほのめかし、持論を推し進めようとしているが、米国の本音は中国の刺激を増長するような安倍の暴走には懸念を示している。また安倍政権はその根拠として日米安保の双務性を重視しているが、現実問題として史上最強の軍事国家米国に「戦争を仕掛ける国」などあるだろうか。現実は日本が米国に利用されるだけだろう。米国は利益があるから安保を継続しているに過ぎない。これまでも我が国は米国にとって多くの基地を提供する「防波堤」となってきた。莫大な土地と資金を惜しみなく捧げてきたのだ。
 又、現在の日本の雇用状態が続けばいわゆる「経済的徴兵制」も考えられると語っている。弱い者に負担が押し付けられる社会的システムは原発のそれと同値である。「生活的恩典を与え徴兵制を実行する」というのはあり得るパターンだ。アベノミクスでいうところの「第3の矢」も中身がないと容赦なく批判する。株価対策での経済活性化は海外の投資家が利するだけであるという。
派遣法の改定(改正ではない)にみる新し雇用の在り方についても、政府は規制基準の改革により「よりよい転職」が進むと叫んでいるが、結局は経営者にとって都合が良くなるだけで、「首切りしやすい」状態を産むだけだと遠慮なく切り捨てている。確かに実質賃金下がっているのだから、購買力は上がるわけもなく、「待っていれば給料が上がる」というのはウソといわれても仕方あるまい。円安も逆効果であり、輸出企業だけがメリットを得るものの、長続きはしないだろうと見積もる。
 テレビ番組降板で話題を蒔いた「政権とメディア」に関しても、安倍政権は本人までも関与し、PRして稼ぐという。プレゼンに力を注ぎ、マスコミトップに圧力をかけているという。なるほど安倍総理は新聞界テレビ界の幹部クラスと頻繁に会食会を持っている事実は、歴代政権と比較しても度を越しており、他国の政権で類例も稀である。
 本著が出版されたのは昨年秋であるから、それから間もなくテレビ番組出演を降板させられた事実は、本著と全く無関係とは言い難いだろう。ここ数日の国会での審議の実態を見ても、古賀氏の説く「国家・政権の暴走」が当を得ているかどうかを容易に判断できるのではないだろうか。

            
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by tomcorder | 2015-05-31 16:57 | 日記
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「米軍機墜落事故」     河口栄二      朝日新聞社     1981年9月30日刊

 本著は1981年秋に出版された。今から34年前、戦後36年経った時期である。およそ終戦と現在の中間に位置する時点と言える。従ってここに掲げられている資料は、戦後の日本の足跡の「前半」に起こった事実と言える。ではこの日本戦後史前半の時期に在日米軍の起こした事故はどれくらいあったのだろうか。本著P.51 ~P.57には、昭和24年~昭和52年における米軍機の事故が記載されている。一般的な日本人がこの事実を知った時いったいどんな感想を持つだろうか。作者が追った記録によれば、昭和20年から昭和52年9月までの米軍機による邦人犠牲者は64人に上るという。これだけ多数の犠牲者が続いていたことをどれだけの国民が認知していたであろうか。報道によって広く伝えられたような事故については記憶に残っているものも在るかもしれないが、時が経過する中で世間から次第に忘れ去られ、一人一人が「痛み」を感ずることに麻痺している状態になってはいないだろうか。
 本著では、主に神奈川県を中心におきた何件かの傷ましい米軍機墜落事故の一部始終を取り上げ、在日米軍が起こした事故の悲惨さと、被害者の実情とその後の経過を正確に伝えようとしている。正に「なんの罪もない人びと」が突然、惨事に巻き込まれ、想像を絶する苦しみと格闘し、不本意にも帰らぬ人となった例も少なくないのだ。仮に命は助かったとしても、その後幾多の足かせの中で生き続けることを余儀なくされた。またその家族や関係者も、全く予期せぬ運命を重く背負って生きてゆくことになった。すべては安保条約や日米地位協定に起因する事故であり、被害者の保護、賠償、生活支援に関しても、とても十分な手立てがなされたとは言えない状況が続いた。
 1964年4月5日、厚木基地周辺に位置する町田市原町2丁目商店街に米軍機が墜落し、死者4人、重軽傷者32人の惨事となった。さらにこの時事故に巻きこまれなかった、吉田肉店の主人の妹Tさんはその後、米兵の運転する車に撥ねられ、命を落とすことになった。「公務中」の判断を受け国が全面賠償を行うことになった。
 同じく1964年の9月8日、厚木基地近隣の大和市上草柳6丁目の「館野鉄工所」の付近に米軍機が墜落した。館野鉄工所の主人館野政盛氏の息子3人を含む死者5人、軽傷者4人の被害をもたらした。何とこの日は、厚木基地の軍用機が別の場所でも墜落し、乗務員が死亡していた。その後館野鉄工所は、国からの指示でその場から移転することを余儀なくされ、苦難の道を歩むことになった。順調に家業を発展させ将来を夢見ていた経営者が全く自分の責任とは無関係なことで、人生を狂わされ、悲運な運命をたどることになってしまった。
 1981年9月30日、横浜市緑区の住宅地に米軍フアントム機が墜落。幼児を含む死者、重軽傷者9人が被災した。フアントム機は下限高度より低い高度300m以下で飛んでいた。厚木基地から航空母艦ミッドウエイに帰還する途中であった。米全空母のうち、海外に基地を持つのは横須賀港を母港とするミッドウエイのみである。米軍機と我が国の民間機との飛行空域は想像を絶する過密な構図になっていて、今現在も常に事故の危険性が危ぶまれるほど複雑である。戦後70年も経つというのに未だに植民地並みの状況である。
 幾多の犠牲者を生み、今もなお我が国を縛っている、日米の軍事同盟の実態を変えてゆかない限り、今後も悲惨な事故が起こり得る。沖縄だけでなく、我が国が戦後払ってきた犠牲は多大なものがある。「日本の若者も血を流すことを覚悟しなければ対等な関係とは言えない」などと血生臭い発言をする閣僚が後を絶たない。これだけの日本人が戦後も「血を流し」「理不尽な犠牲を払ってきた」ことを国の指導者たちはどう自覚しているのだろうか。余りにも米国追従的な政治姿勢ではないか。
 きな臭い話題が登場するようになってきた、最近の政治状況だが、平和憲法下でも、こんなに不合理で暴力的な事件が多発し、我が国民の権利と安全はないがしろにされてきたのだ。いまさら「憲法を変える」などと言う前に、現に目の前にある不合理をなぜ正そうとしないのか。軍事力を増強したところで、庶民を米軍から守れなければなんの意味もないではないか。
 
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by tomcorder | 2015-02-08 18:12 | 日記
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「検証・法治国家崩壊」<砂川裁判と日米密約交渉>   
                            吉田敏浩   新原昭治   末浪靖司
                                       2014年 7月26日刊
「最高裁大法廷で起こった戦後最大の事件!1959年12月16日、日本国憲法はその機能を停止した。最新の解禁機密文書が暴露する、アメリカ政府の工作とは?」
 表紙の写真は、最高裁大法廷における口頭弁論の風景である。正面中央が裁判長田中耕太郎長官。「在日米軍の存在は憲法違反」とする1859年3月30日の東京地裁「伊達判決」を受け、最高裁に跳躍上告された砂川事件上告書は9月7日、口頭弁論が開始。審理は異例のスピードで行われ、12月16日、「米軍駐留は合憲」の逆転判決が言い渡された。(表紙カバー解説より)
 1959年3月末から4月にかけて、世の中は4月10日に予定されていた皇太子成婚パレードの話題で盛り上がり、いわゆる「ミッチーブーム」の真っ只中にあった。しかしその大セレモニーの陰で、戦後史に大きな傷跡を残す歴史的な大事件が起きていることなど一般人は気づくすべもなかった。それは1959年3月30日に下された東京地検における砂川事件の伊達秋雄判決の衝撃から始まった。この判決を聞いた当時のアメリカ駐日大使マッカーサー2世は即座にこの判決の結果を受け、時の国務長官ジョン・フォスター・ダレスに公文書の打電をした。(米国の情報公開により2008年新原昭治氏発見)大使はプレス向けには「当大使館がコメントするのは不適切である」と表面を整えながらも、現実的にはすぐに当時の藤山外務大臣に連絡を取り、翌日の早朝に大使との面会をした。その日の午前に閣議が予定されていたため、その前に政府の考えを確認し、アメリカの意志を伝え従わせる必要があったのだ。翌日の4月1日にも藤山外務大臣との2回目の密談を行い。日本政府が最高裁への跳躍上告を予定していることを確認し、本国に「迅速な処理に向けて圧力をかけている」と公電を打っている。さらに驚くべきことに、マッカーサー大使は閣僚との密談のみならず、こともあろうに、司法の最高責任者たる最高裁の長官とも密談をし、アメリカの外圧を加えていたのだった。皇太子成婚の華やかなブームの陰にこの様なショッキングな政治的策略が交わされていたということは、日米外交史の上からも、我が国の政治姿勢の根幹からも、重大な汚点を残す結果となった。
 砂川裁判を巡る日米の駆け引き、野合は「米軍の特権を守るため」の米政府の我が国の司法への干渉であり、裁判の姿勢、観点、時間的扱いに至るまで、具体的に圧力をかけ、日本政府をして、米国の論理に従う僕として傅かせる、「裏の法体系」の実在を世に知らしむ、「見せしめ」となった。異常ともいえる短期間の審議の中で、最高裁のとった基本的な考えは「裁判所に安保条約を判断する権利はない。」ということであり、米軍を超法規的存在として認めるというものであった。別の言い方をすれば、日本国民の「法益」より米軍のそれが優先される、という屈辱的なものであった。いわゆる「統治行為論」であり、米軍に「治外法権」を認める「安保法体系」の優先する判決は、「日本が戦争に巻き込まれる危険があり、日本国憲法に違反する」とした「伊達判決」を全面否定するものであった。この判決以降、米軍をめぐる幾多の事故が起き、少なからぬ悲惨な犠牲者が続出しても、「日米地位協定」を後ろ盾として、米軍の犯した罪を日本の法律で、国内法の基準レベルで裁くことは実質的には実現していない。住民運動などの盛り上がりはあったにせよ、現実としていまだに「治外法権」的実態は解消されていない。戦後70年が経過しようとしているのに、このような「属国的境遇」に甘んじている国が他にあるだろうか。
 安倍政権は「集団的自衛権」問題に触れ、「集団的自衛権」の解釈は「砂川裁判判決で決着済み」と豪語した。しかし砂川裁判の何が「集団的自衛権」の容認に繋がるというのだ。それどころか、「砂川裁判そのもの」が日米の闇取引の産物であり、時の政権中枢、司法、と米国との黒い黒い癒着が実物資料で明らかになっているではないか。こんな裁判の結果を「金科玉条」のごとく掲げること自体、異常であり、自己矛盾を自ら認めることではないのだろうか。
 砂川最高裁判決を下した田中耕太郎最高裁長官を登用したのは吉田茂総理大臣だった。当時田中耕太郎長官のライバルとして候補に挙がっていた一人に真野毅という人物がいた。彼は日本国憲法の考え方について次のように語っていたそうだ。「戦争放棄、戦力不保持は国際情勢の変化を口実として、憲法解釈の名の下に、時の政府の便宜主義によって覆し得るものではない。」誠に慧眼である。65年も前に現在を予見しうる人物がいたということは驚きだ。
 スポーツの世界では金メダル獲得や世界記録を出した選手でも、事後ドーピング検査や八百長などの不正が発覚・立証されれば、メダルや記録は登録抹消、没収され選手としての生命も奪われる。しかるに国を揺るがす大裁判に不正行為が立証されたら、どうなるのが健全な社会か?今この世、日本はきわめて不健全な空気の中にいるのではないか。
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by tomcorder | 2015-01-21 18:52 | 日記
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  「福島原発事故・県民健康管理調査の闇」  日野行介著
                                   2013年9月刊
 ・・・未曾有の原発事故により放出された大量の放射能。住民の健康への影響を調べる福島県の調査の
裏で、専門家、行政担当者たちは一体何をしていたのか。秘密裏に会議を繰り返し、事前に調査結果に対
する評価をすり合わせ、議事録までも改竄-----。一人の記者が、<闇>に立ち向かい、調査報道でその
実態を明らかにする。・・・・<表紙帯書より。>
 2014年12月現在、福島第一原発事故より3年9ヶ月が経過した。放射性物質による内部被曝による
癌や白血病などの病気との因果関係を立証するのは、広島・長崎、ビキニ事件の被爆被害の例からも大変難
しい。しかし、それは「ない」というのとは全く違う。チエルノブイリ原発事故のあと10年を経過した時、
「甲状腺癌」のみ因果関係があることが認められた。今までに6000人の子どもが甲状腺癌にかかったと
報告されている。福島では15万人がふるさとを離れ避難を余儀なくされた。そんな中、筆者は2011年
5月より取材を開始した。発端となったのは、第五福竜丸事件で設立された「放医研」が始めようとした「
線量ネット調査」の資料公開が、はじめ1週間延期になり、次に1ヶ月延ばされ、「福島健康調査検討委員会
準備会」で「袋だたき」にあったあげく、公開中止になってしまったことであった。そして、福島権が主導
する形で、県民健康管理調査へと進んでいったのである。「何か圧力が?」筆者はそう感じざるをえなかった。
「放医研」の案が葬られたのは「不安を煽り、時期尚早」という県の言い分からだった。しかし、専門家
である岡山大学津田敏樹教授の言葉によれば「記憶が鮮明なうちに早く調査する必要があり、不安をあおるな
どで有効な調査をしないようでは、むしろ不満や不信を高める」という批判の声を上げている。
 「県民健康管理調査」とは主導権が県にあり、福島県立医大副学長の山下俊一教授が座長を務めて始まった。
調査の概要として①基本著調査200万人全県民対象と②詳細調査、一八歳以下の青少年36万人から構成さ
れていた。検討委員会が積み重なれてゆくうちに、筆者は「裏会議」の存在に気がついた。つまり表にでる「
本会議」を開催する前に「裏の会議」であらかじめ下書きを作っていたというのだ。「何のために」それこそ
問題である。筆者はそれを「秘密会議」と名付けた。表向きは日程もなく、公に知らされていないのだから正
に「秘密の」会議だったのだ。そしてその非公開の場で、重要な方針が決められ、民主的とはいえない手法で
健康管理調査が進められていったのだ。
「晩発性の被爆の影響」恐れているのはそのことだった。浪江町では県の働きかけを受け入れる以前に、「健康
手帳」を町民2万1千人に配布することを計画した。町長は「記録がなければ、医療につながらない」「町が責
任を持つしかない」と言っている。そんな中、2012年9月、第八回検討委員会の時、初めての甲状腺癌の患
者が確認された。以後患者の数は増え続け今では数十人の癌患者が確認されている。これが福島第一原発の事故
によるものかどうか、いまだに認めようとしない。しかしもう4年が経過しようとしているのだから、チエルノ
ブイリの事例と比較しても、被爆による発病かどうかを語れる段階に近づきつつある。もはや「スクーリング効
果」だけでは納得させられない状況になりつつあるのではないだろうか。
 安西育郎立命館大学教授は述べている「秘密会議は討論の封じ込めにつながる。県がいくら安全といっても、
県民は信じられず、調査の意味もなくなりかねない。」と。福島県医師会星北斗理事長も発言している「隠したい
という県の医師を感じた」と。会議進行のシナリオに当たる「進行表」の存在も指摘された。このシナリオに沿
って会議が進行された跡があり、「SPEEDI」の資料を国から送られたにも拘わらず県はデータを削除した。
2013年8月現在、「詳細調査」の基準も決まっていない。県や県議会もこれ以上追求しようとする姿勢がない。
と筆者は批判的だ。子を持つ母親の声がどうかが問題だ。とも語っている。
 今現在も甲状腺癌にかかる患者の数が増えているが、この検査に関連していくつかの問題点も指摘されている。
検査方法、判断についても疑問が持たれるし、情報公開も十分行われているとは言いがたい。患者や家族が不安や
不信を感じるようでは、趣旨がいかされているとは言えない。「検査項目」についても、疑問が残る。
はじめは4項目の検査項目で予定されていたのだが、「検査の効率化」のためか、「甲状腺の内部変化」と「血流の
状態」の2項目は削除されてしまった。会議の進行や公平性の観点からもいくつかの問題点があったようだし、メ
デイアに対しも平等性に欠けているとの批判もある。
広島・長崎そして第五福竜丸事件で等で内部被曝による被害の過小評価が問題にされてきたが、こと福島原発事故
に対しても、同じような問題が指摘されている。被爆をめぐる議論の共通性、被爆の影響を専門家はどう考えてい
るいのであろうか。
2013年8月現在一八歳以下17万5499人中、甲状腺癌の手術18人、癌の疑い25人。合計43人という
データーが報告された。今現在はさらにその数が増えつつある。この先をどう考えて行動すべきなのか。もう「待
ちの姿勢」では対処できない状況に入っているのではないか。
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by tomcorder | 2014-12-24 21:23 | 日記
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 「日本は戦争をするのか」~集団的自衛権と自衛隊~
                     半田滋  2014年5月刊

2014年7月1日安倍晋三総理の率いる第2次安倍内閣は、「執念の」というべきか、強引な手法で「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を断行した。歴代内閣が決して超えようとしなかった、戦後の「不文律」を先を急ぐように唐突に書き換える蛮行を決行した。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今正に「日本のかたち」を変えようと躍起になっている。政府は何を議論しているのか。現実的にはどうなのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛問題を取材してきた著者の渾身の一冊。というのが本書の帯紹で綴られている。
 著者半田滋氏は1955年生まれのジャーナリスト。下野新聞社を経て東京新聞の社会部記者、編集委員、論説委員を歴任。安倍政権の特質と問題点を辛口に分析し、我が国のあるべき姿を求め、鋭い視点から危険な領域に足を踏み入れつつある現状に強い警鐘、警告を発している。
 「日本は戦争をするだろうか」正にこれ以上の政治問題についてのテーマはない。この究極の疑問に対し、著者は「安倍政権が長く続けば続くほどその可能性は高まる」と開口一番断言している。憲法第9条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道筋が付けられるからに他ならない。と言い切っている。12月14日の衆議院選の結果を踏まえても、この言葉が現実化する恐れは日に日に高まっている、と考えるのは作者の言葉を待つまでもない。その作者の言葉を借りるなら、「国民の疑問に丁寧に答え、不安を解消して行くのが<政治家の務め>のはずだが、安倍首相は違う。国内においては<我が国を取りまく安全保障環境一層悪化している>と不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張り上げる。その一方で、過去の侵略戦争を否定するかのように、<侵略の定義は定まっていない>と公言し、米国のメッセージを無視して、靖国神社に参拝した。外交においては、中国、韓国ばかりか米国までも刺激し続け、安全保障環境を自ら悪化させている。・・・・・・」と手厳しい。しかし、客観的に見ればこれが「実像」であり、少なくても「世界の見方」は「安倍戦略は妥当」とは到底評価されていないだろう。それは各国の主要報道紙の取り上げ方からみてもうかがえることであり、世界の首脳会議での安倍首相と各国首脳との接触量の少なさからも読み取れることではなかろうか。
 「戦後レジームの脱却」などと手前味噌のキャッチフレーズを執拗に自己宣伝し続ける首相ではあるが、その言葉の裏には、個人的「怨念」とも言うべき偏向性が垣間見られるし、集団的自衛権行使容認にまで踏み込む過程、の背景を眺めてみれば、それは正に裏からコントロールを図る「ジャパンハンドラース」のシナリオそのものであり、単にその筋書きに沿って芝居を演じているにすぎないと映ってしまう。
 「脱却したい」のは自らの意志ではなく、アメリカのご都合主義でもある。「ハンドラーズ」たちの言葉の節々からも、アメリカの「国益」のための「集団的自衛権」であることは歴然としている。その意味でも安倍政権の「暴走ぶり」は「都合のいい限り」は「受け入れられる」かもしれない。しかし、日中の衝突、日韓の衝突を米国が本当に歓迎するはずはなく、勘違いした安倍政権が「脱線」すればすぐに「しっぺ返し」が返ってくることは容易に想像できる。米国から「強固な国粋主義者」と呼ばれている安倍首相の驕り、勘違いの数々と、自衛隊の活動の落差も本著には丁寧に解説されている。
 そして作者は結んでいる「集団的自衛権行使に踏み切っても、犠牲になるのは自衛官であって、政治家ではない。人命軽視、責任回避は旧日本軍の専売特許だったが、現代の政治家にも当てはまるのかも知れない。」

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by tomcorder | 2014-12-16 20:17 | 日記
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  「集団的自衛権の何が問題か」  ~解釈改憲批判~
                    奥平康弘・山口二郎編 2014年7月刊

*執筆者一覧*半田滋、御厨貴、長谷部恭男、柳沢協二、青木未帆、南野森、浦田一郎、
       永島朝穂、高見勝利、高橋和之、阪田雅裕、中野晃一、西崎文子、
       前泊博盛、岡野八代、丹羽宇一郎、村上誠一郎、北沢俊美*

 民主党政権から政権奪取した第二次安倍政権は、「積極的平和主義」なる国民と世界を愚弄する低劣な造語を掲げ、露骨な復古主義的政策を進め戦後の民主主義に対する不遜な挑戦を続けている。これは正しく、戦後の日本人の流した汗と努力への不敬の念の現れであり、歴史修正主義に魂を奪われた戦前回帰願望の亡者の自作自演シナリオとみることができる。日本版NSCの開始や国家安全保障法、特定秘密保護法、武器輸出3原則改悪・・・次々と、積極的ならぬ「破局的」平和主義をばく進する安倍反動政権はついに今夏、歴代政権が「超えるてはならない」としてきた集団的自衛権の容認とういう暴挙に踏み込んだ。もはや「平和主義」という範疇を超え立派な「軍国主義」の道を歩み出したのである。
 本著は「集団的自衛権行使容認」に疑義を唱える、各領域における論客が、それぞれの角度からの分析にもとづき、安倍政権の愚行を批判・告発している。どの論者から見ても、この判断、すなわち集団的自衛権の憲法解釈による行使容認を、まっとうな政府のとるべき行為とは認めていない。それは憲法学者、政治学者、ジャーナリスト、政治家、経済学者、マスコミ関係者・・・と幅広い層から共通して問題視され警告されている。なんと今の政権与党たる自民党の議員からも現政権に対する痛烈な批判がなされているのだ。
「安倍政権は何をやろうとしているか」
まず安倍晋三個人の持つ資質が問題視されている。周知のごとく、「岸信介の孫」という生い立ちが背負う政治的スタンスが、負の使命感となり、戦後続いてきた保守主義の正当性へのあからさまに疑い、攻撃を継続的に続けている。その色彩はきわめて復古的であり、立憲主義の原則さえ「古い時代の概念」と決めつけるほど常軌を逸している。このような危険きわりない政治信条、過度の権力の私物化の代償として、「国民の命と暮らし」が剥奪されようとしている。歴代の自民党政権の論理、さえ破壊する暴力的姿勢は、憲法に対する挑戦でもあり、論理の破綻どころか論理の破壊とまで言いうるレベルである。安倍晋三の言う「取り戻すもの」とは正しく「戦前」と判断すべきであり、日米安保の双務性に対する誤認識や修正主義的歴史認識等々、ますます日本を世界から孤立する方向に追いやろうとしているとしか見えない。最近では当のアメリカさえ「距離を置こうとする」姿勢が透けて見える。
 ニューヨークタイムス紙も再三に渡り、安倍政権の振る舞いに対し、警戒の念を表している。安倍の主張とは裏腹に世界一般は「不安定要素を増長させる因子となっている」と見ているのである。本人は強気のつもりかも知れないが、「現実を無視した危険な火遊び」を戯れているとの指摘もある。元内閣府に籍を置いた柳沢協二氏さえ、「集団的自衛権の必要性を証明することは至難であり、安倍首相は<集団的自衛権の名分のみ>が欲しいのではないかという。売名行為の犠牲になる国民は耐えられないはずである。
「立憲主義の破壊」は現に進行しつつある。我々は何ができるのか。<解釈改憲がなぜいけないか>については既に各所で指摘されているが、理論的にも歴史的にもその危険性は広く確認されている。これを否定することは紛れもなく時計の針を逆回しすることであり、紛れもなく現政権は「過去を向かって矢を放つ政権」としかとらえられない。内閣法制局はいわば「内閣の法律顧問」であり政府の「客観性」を維持するためにも必要とされていたのであるが、その人事さえ自己保全のために強引に介入する安倍政権の手法は、誰から見ても強権的であり、「禁じ手」の連発で政権維持を図る異常な姿勢自体が民主主義そのものへの挑戦とも受け止められる。
 集団的自衛権に関わる過去の事例、を大きく方向転換させようととする安保法制懇の動きは、安倍首相の私的意向を裏から支える特別機関になっており、歴史に学ぼうとすれば、その存在は正に「背広を着た関東軍」と評するのは早稲田大学の水島朝穂氏だ。集団的自衛権容認をなんとしても正当化しようとする法制懇の諸論議は武力行使解禁のための「詭弁のデパート」であり、その有り様は戦前の軍部に酷似しているというのだ。「隙間」だらけの「有識者」の思考と知識を厳しく批判している。「交戦権」がないのに、どうして他の国と一緒に戦争ができるのか、子どもで解る話だ。
 「国際環境の変化と集団的自衛権」
 新自由主義の台頭とともに我が国も大きな政治・経済の波が押し寄せた。小選挙区制の導入、国鉄民営化、構造改革、郵政民営化、・・・目まぐるしい変化に遭遇した。そんな背景のもと、第2次安倍政権は改憲(壊憲)戦略の敢行を開始した。混乱の社会情勢に便乗したのだ。・政権の矛盾に気づきつつも、alternaiveな歯止めとなる政党がない。・階級利益の追求に邁進する資本家集団・階級闘争の実像と手段を見失った既成政党。・・・という状況下で安倍晋三は「戦犯」を前に「戦争犠牲者」と言い放った。
 「米国との外交関係」からの集団的自衛権については西崎文子氏が論じている。日米関係においては、「国連中心主義」からの離脱が進んでいるという。集団的自衛権の自制はその危険性に警鐘を鳴らす効果があったと評価する一方、湾岸戦争以降権力政治への回帰が進み、日米関係は微妙な様相を呈していると説く。
 「沖縄からの視点」で集団的自衛権を語ればどうなるか。前泊博盛氏は訴える。2013年4月28日、戦後61回目の「主権回復の日」を迎え、安倍晋三首相は大祝賀会を開き、天皇、皇后両陛下の面前で「万歳三唱」を唱えた。しかし、サンフランシスコ平和条約が締結された4月28日は沖縄が本土から「見捨てられた」「屈辱の日」なのだ。奇しくも最近の資料から分かったことに、昭和天皇は沖縄のアメリカ統治、米軍駐留を自ら希望したという。これが安倍晋三の「歴史認識」か。ベトナム戦争時沖縄の基地から米軍機が飛び立ちベトナムを爆撃した。集団的自衛権の適用だった。韓国兵もベトナムに向かい、多くの死者が続出した。これも集団的自衛権の行使だった。時代は進み「イラク戦争」では10万人を超すイラク国民が殺害された。これも集団的自衛権の範疇ではないか。「軍は民を守らない」これが沖縄戦を体験した沖縄の人々の共通認識だ。憲法9条こそ「抑止力」と前泊氏は力説する。
 1939年生まれ、前駐中国特命全権大使の丹羽宇一郎氏は語る。「集団的自衛権を行使したいなら、憲法を改正するのが筋だという議論が出てくるのは当然でしょう。でも無条件で憲法改正しようなんて誰も言っていない。政治家も学者もメデイアも自らの責任に自覚を持って欲しい。国家権力というのは自己増殖する。特定秘密保護法・武器輸出3原則転換・集団的自衛権行使容認、ではそのうち一体何が起きるかということだ。」又、注目すべきは政権与党自民党にもこんな人がいる。元行革担当相の村上誠一朗氏だ。彼は「ワイマールの落日」繰り返すな。立憲主義を崩す前例を作るな。と安倍政権に公然と異を唱えた。「当然のことが通じなくなり、異端のものとして扱われるようになれば、もはやフアシズムだ」とも断言している。「集団的自衛権が日本に必要か」「歌を忘れたカナリヤに国会議員がなっている」「右舷に傾きすぎて沈没しかねない」まことに爽快な持論を持つ「自民党議員」だ。
 編者を代表して山口二郎氏は言う。「今回の解釈改憲を許せば、9条は無意味化する。解釈改憲で既成事実を作り、やがて条文改正を狙う。この点をとらえて小林節慶応大名誉教授は<憲法泥棒>と呼んでいる。」「憲法解釈を変える内閣決議は憲法への挑戦である。・・・・これから息の長い闘いが続く。」
「憲法と民主主義の危機を憂える市民に、闘うための確信を提供できることを願い、本著を編纂した」と結んでいる。


 
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by tomcorder | 2014-12-12 14:06 | 日記
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  日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか 
                                                矢部宏治著 2014年10月刊

著者矢部宏治氏は1960年生まれの編集者。慶応大学文学部卒業後博報堂勤務を経て、1987年より書籍情報社代表者として、書籍編集に携わってきた。特に創元社発行の「戦後再発見双書」という大ヒット策を世に送り出し、話題をまいた制作スタッフの中心人物である。この手の書籍としては「異例」の売れ方に「味をしめて」か今度は本人自らが執筆者となり、「基地と原発」という観点から日本の戦後史の実像を描き出そうとした「注目の書」である。
 3.11以降多くの日本人は「大きな謎」を解く旅をし始めたという。
何故巨大事故が日本で起こってしまったのか。
何故事故の責任者は誰も責任を問われず、被害者は正当な保障を受けられないのか
何故専門家や大手マスコミはこれまで「原発は絶対安全だ」と言い続けてきたのか
何故事故の結果ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか
何故明らかな健康被害が起きているのに、政府や一部の医療関係者はそれを無視し 続けるのか
これらの謎は元をたどって行くと、沖縄を中心とする「基地問題」とも共通する因子を持っていることにたどり着く。つまり、沖縄の謎であり、福島の謎であり、安保ムラの謎であり、原子力ムラのなぞでもあるのだ。そしてこれらの問題の背後にあるのは、戦後の70年にわたる日本の歩みを裏で糸を引いてきた部分でもある。戦争の終結期から現在に至るまでの米軍およびアメリカ首脳部と日本の諸政治勢力との関連性やもくろみ,戦後の昭和後期の天皇の振るまいと政治的立ち位置、平成に入ってからの日本の政治の勢力図等を、具体的史実に基づき分析し、作者は鋭くいくつかの「結論」を断定するに至った。それらはある物は驚きの事実であり、ある物は冷静な、推論の結果でもある。
 米国との関係を考えるとき、我々は「日米安保協約」はもとより、「日米地位協定」の存在にどうしても突きあたらざるを得ない。この条約の規定する条項により今なお我が国は「属国」的扱いに甘んじていると言わざるを得ない。沖縄や基地を抱える地域ではこれまで幾多の「屈辱的被害」を堪え忍んできた。数日前も沖縄で米兵によるひき逃げ事件が報道されたばかりだが、未だに「治外法権的扱い」が解消されていない。オスプレイ配備や航空管制の植民地的運用など、信じられないような取り決めが今も続いている。
 そしてこれは原発の運用にも、似たことが適用されている。「日米原子力協定」なる物が歴然として存在し、日本の意思だけでは原子力の今後をすべて決定するのが難しい足かせとなっている。「ジャパンハンドラーズ」なる言葉も耳にすることがあるが、現に米国は深く日本の政治的選択に関わってきたし、今も「日米合同委員会」なる組織を通して、「日本の振る舞い」をリモコン操作している。
戦後70年という月日を持ってしても、未だに終戦後のしがらみから抜け出せずにいる、我が国の政治的発育不良状態を健全な状態にどうしても取り戻さねばならない。
そのためには一人一人がどうするかを主体的に考え、勇気をもって行動することが必要不可欠ではないか。
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by tomcorder | 2014-12-11 00:12 | 日記
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   「被災者支援政策の欺瞞」   日野行介著  2014年8月刊

 著者日野行介氏は1975年生まれの毎日新聞の記者。先に2013年刊、「福島原発事故県民健康管理調査の闇」を著わしている。
 そもそも本著の始まりは、2013年6月に発生した「暴言ツイッター」からだった。エリートキャリア官僚がtwitter上で、公務員にあるまじき上から目線の、不見識な言葉を複数回「つぶやいた」ことからだった。この事実に注目した著者は、素早い調査、張り込みを開始し、その暴言の発信者を突き止めたのだ。驚くべきことだった。twitterの発信元は復興庁のM参事官(当時45)だった。バリバリの中堅クラスのエリート官僚だった。どんな動機からは分からぬが、被災者の心情を踏みにじる言葉であり、「公務員」として許されない、取り返しのつかない発言であった。例えば「左翼のクソ野郎が・・・」とか「懸案解決・・・白黒つけづに曖昧なままに・・・」とか「田舎の議会を見て・・・吹き出しそうになる・・・」等々、被災者はもとより、支援法の成立に尽力した議員や市民団体を問題視し、愚弄中傷するものだった。この人物が支援法の担当者だったこともあり、大きな問題として取り上げられ、当然のことながら本人は処分を受けた。
 しかし、この事件を復興庁は「個人の犯したミス」として幕引きを計ろうとしたが、その内容から言って、「組織としての実態」に大きな疑いを持たざるを得ないような問題性を内包していた。つまり「支援法」は成立したものの、その具体的運用指針が不当に先送りされ、時とともにますます「骨抜き」にされつつあるという現状そのものであった。ここでいう「支援法」とは正式名「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」という65文字にも及ぶタイトルのつく法律だ。
 復興庁が担当する復興支援の法律としては、「福島特措法」とこの「子ども被災者支援法」とが「双子の法律」として存在するが、その扱いは対照的である。その成立には、「超党派」の議員が集まり、「議員立法」で成立したが、成立時の「理念」に呼応するような「具体的方針」が確定しないまま半年もの間、放置されたままだった。関係諸機関同士の思惑が水面下で作用しあっていた、と思われても仕方あるまい。福島県富岡町元職員の小貫氏は言う。「避難者は不安を覚えながら暮らしている。一日も早く支援の手を差し伸べてほしいのに、省庁の責任の押し付け合いに時間が浪費されることは許されない」と。
 線量についても具体的な基準を示さないまま、反発を無視するような形で、「帰還促進を強く打ち出す方向」に政府方針は進んでいった。2013年5月にチエルノブイリに調査に行った政府筋関係機関も、「日本の事故はチエルノブイリほどの被害ではない」との曖昧な結論しか出さず、その発表の仕方も透明性に欠け、自己弁護的である。マスコミでの批判的報道に対しても、政府および規制委員会等関係機関は感情剥き出しの反論を加え、最近ではあらゆる権力を使って「マスコミ封じ」を目論んでいる。これは安倍政権の「政治的スタンス」として共通している。
 著者の被災地の人びとの「生の声」からも分かるように、政府が声高に「帰還への道」を進めようとしても、現地の避難住民は単純に「帰還」を喜んではいないのだ。「線量の把握」も曖昧だ。住民が言うように「政府は都合のいい時だけ公表する」「記者は<みんな帰還を望んでいる>なんて書いちゃだめだ」等の言葉を忘れてはならない。別の住民の言葉では「喜んで帰ったわけじゃない。今の気持ちは伝えきれないし、記者が記事に書くのも難しいだろう。我々は制度に乗っかっちゃった。パターンに載せられている。自宅で泊まれてうれしいというような状況でない。」「絶対に帰るのを拒否しているわけじゃない。でも安心して帰れるような状況ではない。・・・ただ、遠くにいたら声が届かないんじゃないかなと思った。住まないと言えないこともある。私はそれを言いたいんだ!」
 「風評被害」という言葉が一人歩きした。政府がそれを言う時は「責任転嫁」の声も同時に起こる。-------1msvを守る「責任」は誰が負うか------と筆者は問う。

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by tomcorder | 2014-11-28 11:30 | 日記