ブログトップ

渡霧吐夢世界

tomcorder.exblog.jp

薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

カテゴリ:日記( 153 )

a0292328_20552874.jpg

  「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな
                                   知っていること」
ー沖縄・米軍基地観光ガイドー・須田慎太郎、矢部宏治・前泊博盛 2011年6月15日刊

本書は沖縄の「観光ガイド」である。但しその中心にあるのは在沖縄米軍基地である。沖縄を知ろうとすれば、どこを訪ねても「基地」が目に入る。地図を調べればわかるように、「沖縄に米軍基地がある」というより「米軍基地を避けるように沖縄住民が生活している」と言った方が当たっているほど、土地に占める米軍基地の面積は異常に広く、いかに米軍が沖縄を一方的に使用しているかがよくわかる。戦後70年になろうとしているのに、沖縄は「本土復帰したはずなのに」米軍は依然として基地を手放そうとしない。
 ペリー来航時も最初に訪れたのは沖縄だった。1946年の軍政時代、「米軍はネコで、沖縄はネズミ」と発言した総督もいた。2000年の「日米合意」によれば、基地は運用については「日本、アメリカの国内基準の厳しいい方を採用する」と言っていながらも、普天間基地は日米の両方の法律さえ守っていないのだ。言いかえれば普天間は日本の「法律上の飛行場」ですらないのだ。
2014年の今も占領は続いている。日本国憲法がありながら、米軍兵の犯した犯罪には、日本国内法を適用することさえままならないのが現状なのだ。沖縄で繰り返された数々の米兵犯罪に日本の裁判権が適用された例は極めて少ないし、下された判決も国内法では考えられないくらい軽いものだ。
しかし、これは沖縄だけではなく本土でも幾多の民間人が米兵の被害にあっており、未だに「治外法権」が解消されていないのだ。日本以外にも先の戦争の敗戦国は複数存在するが、みな同じではない。いまだに占領軍の統制下におかれている国は日本を置いてほかにない。沖縄の現状を改善するためには日本政府が「命を懸けて日本の独立を取り戻す」気概がなければ成し得ない。「集団的自衛権」などを問題にしている場合ではないのだ。アメリカの御用聞きではなく、真の独立を取り戻すことが「愛国心」の証ではないか。 
[PR]
by tomcorder | 2014-06-28 20:56 | 日記
a0292328_165618100.jpg

   「密約」 <日米地位協定と米兵犯罪>  吉田敏浩 2010年3月刊 毎日新聞社

 2010年の時点で、安保改定後50周年の年に、時の民主党政権は4つの「密約」を調査することを宣言し、それまで「存在しない」と言ってきた密約関連文書などが発見された。国家のウソが白日の下に晒され、それまでの数々の隠蔽の歴史が覆された。すなわち4つの密約とは
①事前協議なしの核持ち込み・通過
②朝鮮半島有事の際の事前協議なしの日本からの出撃
③有事の際の沖縄への核の持ち込み
④沖縄返還時の現状回復補償の日本による肩代わり
①②は60年時、③④は72年沖縄返還時である。これらを通し対米従属の姿勢が戦後一貫して継続しており、これまで国民の目に届かなかった機密文書が広く世間に公表されることになったのである。
1960年の安保改定に伴い、旧日米行政協定は日米地位協定として名称を変えたが、基本的には何ら我が国の主権を尊重しておらず、明治時代の「不平等条約」レベルの国辱的歴史を繰り返してきたのだ。日米地位協定やその裏側に潜む密約の数々によって、戦後数々の米兵による犯罪が繰り返さされ、多数の日本人の命が奪われたり、残酷な被害を受けてきた。しかし、米国との間に重く仕組まれた密約の数々は正当な裁判を実施することさえ覆い隠し、わが国民の基本的人権を力づくで押さえ続けてきた。そのたびたびに「日米地位協定」のもつ不合理性が問題になり、被害者、地域住民の反感は高まり、政府への不満はたまりにたまっているはずであるが、いまだに米国との間に「対等な関係で」在日米軍の起こした事故、事件を対処するシステムはできあがっていない。沖縄地方で多発する米兵による犯罪にこれまで地元民はどれだけ怒りと犠牲に耐えてきたことか。しかし、これまで沖縄以外の全土で実に多くの事件や犯罪が発生していたのだ。しかも驚くべき事実として、日本の法律での正当な裁判が行われることが極めてまれなのだ。しかも仮に日本の第一次裁判権が認められたにしても、その多くの判決例は圧倒的に米兵に甘く、残酷非道な犯罪であっても重い刑が執行されることはほとんどなかったのだ。
こういう事実の下に、今も許されない非道な米兵犯罪が止まることがないのだ。
米兵犯罪の例をたどれば、被害者、遺族にとって余りにも残酷、非道な事件が多い。日本人を「人と思ってない」と受け取られるような犯罪例もあった。
それでも日本政府はいまだに「地位協定」の骨組みを変えることができないのだ。
「集団的自衛権」を問題とする前に、「目の前の国民の命」すら守ることができないのが現政権の実態なのだ。「米兵の血が流されているのに、日本人が血を流さないでいい訳はない」などと喚いた閣僚がいた。冗談ではない。いままで戦後何年も、何人もの日本人の血が「米兵によって」流されたのだ。しかも裁判が日本でおこなわれなかったり、判決が下されてもいたって軽いは罪状で処理されてきたのだ。
軍備増強や集団的自衛権に走るより、在日米軍による犯罪から「国民の命を守る」のが、まっとうな政府のまずやるべき仕事ではないか。現政権は何を血迷っているのか。
[PR]
by tomcorder | 2014-06-21 16:57 | 日記
a0292328_2243379.jpg

   「本当の環境白書」   <3.11後の地球で起きていること>
                               池田清彦 2013年8月刊

著者は1947年東京生まれの生物学者。現在早稲田大学教授、山梨大学の名誉教授の職にあり、多彩な評論活動を行っている。本書は「プレジデントファミリー」誌に「池田教授のエコロジ評」として2008年3月から2012年8月までと、「教えたくなる科学の話」として2012年9月から2013年6月まで毎月連載したコラムをまとめたものである。
3.11の福島第一原発事故は、場合によっては核爆発に至る可能性もあった。一度核爆発が起これば他の原子炉も連鎖を起こし、日本の国土の3分の1が壊滅するシナリオが現実になる危険性があった。しかもその可能性は今後も完全には否定されないということだ。長期的に考えればなるべく早く廃炉にした方が、安上がりだ と作者は訴える。世界は将来のエネルギーは原発に依存しない方向に舵を切った。日本の現政権だけが今なお原発を再稼働させて経済を回して行こうとしている。利権集団が頑なに営利を生み出すシステムを手放そうとせず、合理的な判断を出来ないでいると言う考えは筆者の言うとおりであろう。
未来に向かい理性的に考える手だてとして本書の存在意義もあると言える。正に作者の意図した通りである。
[PR]
by tomcorder | 2014-06-18 22:44 | 日記
a0292328_19352162.jpg

  「戦場から女優へ」  サヘル・ローズ2008年12月刊

 サヘル・ローズ(SahelRosa)はイラン人。イラン生まれの女優・タレント。1985年10月21日生まれ、ということになっているが、本当の誕生日は定かでない。1989年イラン・イラク戦争での空襲により住んでいた村が全滅。ただ一人ボランティア活動中の女学生によって奇跡的に救出され、孤児院に収容された。やがて再び孤児院を訪れたこの女学生がこの孤児を自分の子として引き取り、母と子としての人生が始まった。しかし、若き母親はまもなくこの孤児がもとで親から勘当され、1893年養母の婚約者を頼って二人で来日することになる。しかし、当てにしていた婚約者から「連れ子」が原因で間もなく別れを宣告され、母子は路頭に迷うことになった。予期せぬホームレス生活を経て、なんとか小学校に入るが貧しさといじめに苦しみながらも、暖かい支援者の助けを受け、必死に生活を続けて高校生まで成長した。高校生の時縁あって、J-WAVE「GoodMorninngTokyo」のレポーターを始めたことがきっかけとなり、「芸能活動」を始める。滝川クリステルに似ているとの仕草が受け、一時人気を集めた。その後演技者としての存在を示すべく、多方面な活動を続け現在に至っている。
きっかけは安易だったかもしれない。しかし彼女がたどってきた人生は、何物にも代えがたい運命の重みと、多くの人の悲劇と犠牲の上に成り立っている。彼女自身が作品中で語っているように、彼女は生きるべくして生きている。生かされている。
最近痛ましい事件が続いている日本の社会の中で、彼女と母親のたどってきた足跡は、現代の日本人が忘れかけている、大事なことを教えてくれた。親子とは?言葉では表現しきれない、深い思いがあふれている。実の親子でも、これほど深い絆で結ばれることは多くはない。養育放棄する実の親もいるというのに・・。軽々しくは言えないが、それが「愛」というものだろうか?本著の読者なら、心から筆者と母親の幸せを祈らずにはいられない。「サヘル・ローズ」彼女のことをもっともっと多くの人に知ってほしい。
a0292328_19362310.jpg

[PR]
by tomcorder | 2014-06-11 19:36 | 日記
a0292328_1637158.jpg

(本当は憲法より大切な)日米地位協定入門」 前泊博盛 2013年3月刊
かねがね日米地位協定についての重要性、注目度の高さは各所で聞いていた。しかし、本書を読んでみた感想は、そんな言葉を超越するほどショッキングで、驚くべき内容が次から次と展開している。戦後史について斬新な解説をして多くの読者をひきつけた「M氏」もこれでは自身の著した本の「売れ行きに関わる」と冗談を言いながらも本著の素晴らしさを讃えている。戦後の日本は「サンフランシスコ平和条約」で世界に独立国としての存在を宣言したわけではあるが。事日米関係においては、事もあろうに日本国憲法より「日米安全保障条約」が、日米安全保障条約より「日米地位協定(以前は日米行政協定)」が実質的にはより強い効力を発揮しているのだ。法的には上位にあるべき日本国憲法や日米安保より日米地位協定が具体的に日本と米国の関係を強固に規定してきたのだ。いくら憲法で裁かれるべき犯罪や事件が発生しても米国、米軍が絡む事件で在れば、未だに日本の国内法で裁く、あるいは日本の法律の枠内での凡例に則った判決を下すことが出来ないのだ。
 このことは、終戦後の占領時代から今現在に至るまでほとんど変わっていないのだ。つい最近厚木基地騒音訴訟の判決で、損害賠償や、自衛隊に飛行制限を命令する判決が出たが、こと米軍に関しては「裁判の及ぶ範囲でない」と頭から「逃げ」ているのだ。新聞報道等では事実を伝えてはいるが、これまで実にたくさんの米軍関係の事故、犯罪が繰り返されてきた。最近沖縄で多発していることが問題視されているが、沖縄以外の米軍基地周辺の市民にも、あってはならぬ残忍な犯罪事件が各地で繰り返されてきた。横浜でも、水戸でも、群馬県相馬が原でも、ジョンソン基地でも・・・。皆痛ましい事件であり、紛れもない米兵による犯罪であった。今なお沖縄では米兵による犯罪が跡を絶たない。そしてこれらの事件では「犯罪が」立件されても「地位協定のしばり」により、立件されたとしても極めて軽微な判決が下されてきた。ほとんど「密約」で処理されてきたのである。
 これらの事実から言えることは、日本はいまだに「属国」レベルの扱いをされているということだ。恐らく米兵の一部にはそのような意識がないとは言えまい。このような米国との取り決めは、確かにアジアの他の国にも存在する。しかし、日本ほどこの地位協定に「従順」な国は他に例がない。最近強気な姿勢が突出している現政権ではあるが、こと「地位協定」に関しては固く「口を閉ざしている」。隣国に対してあれほど強気な外交姿勢を見せているのに、米軍に対しては正に「借りてきた猫」のごとき「躾のよさ」を見せる保守政権の2面性は誠に醜悪でさえある。日本が真の独立国を取り戻すまで、市民の目で監視し続ける必要がある。
[PR]
by tomcorder | 2014-06-02 16:38 | 日記
a0292328_1952681.jpg

「南京大虐殺否定論13のウソ」  南京事件調査研究会 199年10月刊

1937年12月に日本軍は当時の中国の首都南京を占領した。そのとき起こした大虐殺事件は、海外では「南京アトロシティーズ」とか「ザ・レイプ・オブ・南京」などと呼ばれ、世界の歴史に刻まれている。日本では「南京大虐殺」と呼んでいる。「いやなことはなかったことにしたい」のは人間の共通心理かも知れないが、この事件を「なかったこと」として処理したい政治家が次から次と問題になる発言を繰り返している。1994年5月に永野茂門法相が「南京虐殺はデッチ上げ」と発言し、辞任に追い込まれたことがあったし、石原慎太郎元東京都知事も「南京虐殺は中国の作り話」と語って大問題を起こしたことがある。こういう意見に対し日本政府の公式見解は1951年のサンフランシスコ平和条約の第11条で、「南京虐殺を認めた東京裁判の判決を受諾する」と約束している。1998年の公式見解でも、種々の議論はあるものの、虐殺行為があったことは否定できない事実であると認めている。さらに1999年4月19日の野中広務官房長官の記者会見でも、「南京入城後、日本軍が非戦闘員である中国の人たちを殺害、略奪があったことは否定できない事実と考えている」と公式発言している。このような事実があるにも関わらず、「否定論者」は何回でも否定論を繰り返し、世論を誘導しようとしている。論理の問題というよりは、「マスコミの勢い」を借りてメデイアの世界で既成事実を作ろうとキャンペーンを広げようとしているように映る。「論争」というよりは政治的「戦略」に近い現象といった方がいいかも知れない。
 本書の執筆者は「南京事件調査研究会」という形式的名称で記述されているが、実際に原稿を投稿したのは、井上久士駿台大教授、小野賢二氏、笠原十九司都留文大教授、栗原彰一橋大名誉教授、本田勝一氏、吉田裕一橋大教授、渡辺春己弁護士、の7名の面々である。何れも南京事件について詳しい資料と博識の持ち主で、否定論者の言い分に対し、適格かつ痛烈な論旨で指摘しており、最強の論客が集まっている感がある。
戦後70年近くが経過し、戦争を未体験の世代が多数を占める時代になった。自分自身を含め、経験していない時代の事件について強い否定論が展開されると、ついつい「そうだったのかな」と自信のない反応を取りやすい傾向がある。しかし、それこそ「否定論者」の思うツボであり、「体験がないからキャンペーンは有効」などと言う風潮が高まってはいけない。「知らない世代こそ、真剣に学習し、調べるべきなのだ」幸い今は広く資料が手に入る時代だ。国内の偏狭な復古主義者の弁に動かされる前に、国際的レベルの論調や海外からの資料を目にすることも可能だ。そういう観点から考えてみれば、いわゆる「否定論者」の説がいかに強引であり、少しの「盲点」から大きく全体像を否定することなどできない、ということが冷静に判断できるのである。
現政権になり、極めて復古的な政治路線が、先を急いでる風潮の政治状況の中で、じっくりと歴史認識を持つことは、現代を生きる我々にとっても極めて重要な案件と思える。
[PR]
by tomcorder | 2014-05-30 18:55 | 日記

a0292328_1726224.jpg


 「それでも日本人は原発を選んだ」<東海村と原子力ムラの半世紀>
                    朝日新聞取材班   2014年2月刊
国民のうちどれくらいの人が知っているだろうか。「2011年3月11日。冷却が簡単には出来ず、止むを得ずベントを繰り返していたのは、福島第一原発だけではなかった。」 正に衝撃の事実だが、これは紛れもない事実なのだ。東海村第2原発。何と170回ものベントを繰り返し、3月15日になりやっと「冷温停止」にこぎつけることができた。もし、冷却に失敗していたとしたら、と想像するだけで気を失いそうになるような話だが、いったいこのようなニュースがテレビ等で流されただろうか。それだけではない。月日も同じ3.11。1997年3月11日。すなわち年前の3.11に、同じく東海第2原発で火災爆発事故が起きていた。いったいどれだけの国民が認識していただろうか。つまり3.11は「2度目
」だったのだ。おそらく多くの国民が知らない事実。それども原発を続けるのか?
現に、安倍政権は審査を通過した原発は再稼働させると「公言」したばかりだ。一体どんな価値観に基づいて原発稼働を推進しようとしているのだろう。
 この著は、日本の原子力発電の発祥の地であり、今も原子力関連施設が隣接していて、我が国の核関連施設の「特別の地区」としてその存在を際立てている、茨城県東海村の歴史的経過と本国の原子力事情の足跡を、地域に焦点を当てつつ具体的に綴ったものである。戦後の政治の一断面とも言えるし、関東平野の貧しい自治体が、国家の戦略の狭間で翻弄され続けた歴史でもある。
 そもそも、なぜ東海村が原子力という国家の未来を左右する重大な使命を背負う地域に選定されたのか、そのスタートラインからして極めて「不透明」であり、「政治的作略」や有力議員や財界、政界、学界の複雑な利害、理念が絡んでの、「計算ずく」の結果であった。つまり、当時も今も共通するような「打算の結果」として、原発は立地し、極めて「意図的」に「核の平和利用」のキャンペーに載せられ、あらゆる手段を使って、すさまじいい「物量」を伴った攻撃として進められたのだ。その意味合いにおいて、決して「クリーンなエネルギー」などとは名実ともに言い難い代物ではあった。
皮肉にも、第五福竜丸のビキニ被爆から、放射能の被曝被害が国を挙げての問題となり、人類初の核の悲劇を体験した我が国に、国民的な問題意識を持って、「反核運動」が展開しようとしているときだった。国民運動としての盛り上がりを見せ、核保有国、特に米国に対する批判と反感が高まる中、極めて政治的に「核の平和利用」などという言葉が一一人歩きを始めてしまった。勿論、アイゼンハワーの口から出た、超政治的戦術用語であったわけであるが、日本の政界の大物の戦略にも合致し、保守政党の思惑にまんまと乗せられてしまった。というのが客観的な経過であったようだ。良心的とも言える学者たちの危惧の念もあったようだが、力関係として政治家の戦略を超えることはできなかった。一般国民は科学的知識のなさから、ことの真相を客観的に捉えることが出来ず、血生臭い「政争」に効果的な運動を展開することが出来ず、ずるずると原発建設、稼働を見逃してしまったのだ。
 もし、今のような客観知識や、原子力の真の姿が広く国民に理解されていたら、又違った展開が存在したかもしれない。しかし、原発事故を起こしてしまった現在、「もし」を言っている余裕はない。東海村の歴史を見つめ、今後あるべき日本のエネルギー政策を国民の理解の上に進めて行かなければ、「福島の将来」も見えてこないはずである。地震の警告も叫ばれている日本列島で、本当に原発再稼働が可能なのか慎重に考えれば、安易に見切り発車することなど到底考えられないではないか。
[PR]
by tomcorder | 2014-05-19 17:29 | 日記
a0292328_2391265.jpg

「そして日本の富は略奪される」<アメリカがしかけた新自由主義の正体>
                  菊地英博    2014年1月刊

「新自由主義」という言葉が広く世に飛び交うようになって久しい。グローバリズムとか市場原理主義とかいう概念がアメリカから注入され、日本もいつの間にか、アメリカの敷いたレールの上を進むようになってきた。言葉の響きとは裏腹に、その実態は極めて危険性を秘めており、日本は大きな犠牲を払ってきた。この価値観の根底には、1%の富裕層の富が大事にされ、その他99%の層は搾取され収奪され、貧困の道を進むことになる。小泉政権のころから、米国の出してきた「年次改革要望書」を具現化するような形で、「アメリカにとって好ましい、国の形」へと日本は変身してきた。ヨーロッパはこのアメリカ型の資本主義に早くから異を唱え、ヨーロッパ型の共存共栄型の資本主義を目指してきた。戦後の日本もどちらかというと「共存・共栄型社会」を目指してきたし、かなり実現された面も多かった。だから「1億総中流」などという言葉も定着したのである。
 しかし、アメリカ型の資本主義が行き詰まり、大資本中心の、ミルトンフリードマンの提唱した、「新自由主義」的な経済システムが米英を中心に進められ、日本もその流れの中に組み込まれることを、仕向けられてしまった。
郵政民営化等を通し日本の富が、アメリカの大資本に吸収され、今後もその恐れはある。TPP交渉やISD条項等、日本の富を飲み込む手段は次々と控えている。戦後の日米の力関係の上に、不利益な要求をのみ続けてきた日本はこのままでは、国の蓄えを吸い取られ続けるかもしれない。「新自由主義」とは情け容赦なく強者が弱者を搾り取るためのシステムであると筆者は断言している。
「どうすれば新自由主義の侵略を阻止できるか?」作者なりの具体策をいくつか提案しているが、現状ではだいぶ悲観的と言わざるを得ない。
政治の貧困が続く限り、日本の運命は明るくならない。
[PR]
by tomcorder | 2014-05-13 23:09 | 日記
a0292328_2124811.jpg

  「池上彰が読む小泉元首相の<原発0宣言>」                      池上彰  2014年1月刊

 テレビでお馴染み池上彰氏が放つ、小泉純一郎「原発0宣言」エトセトラ。「山田孝男氏」編の初刊に続く第2弾。勿論本著の主役は小泉元首相の脱原発論ではあるが、その主張を広め拡大するコメンテイターとして、4人の代表者のインタビュー記録、対談集も重ねて掲載している。其の4人とは毎日新聞政治部門専門編集委員の山田孝男氏、79代総理大臣細川護煕氏、城南信用金庫理事長吉原毅氏、元三菱銀行取締役NY支店長末吉竹次郎氏の面々である。
 多彩な4人である。どちらかというと、「脱原発」のイメージリーダーにはなりにくそうな人びとかもしれない。しかし皆「自分の持ち場」で「自分の言葉」で「脱原発」を語っている。小泉氏も、細川氏も決して「既成の政党レベル」での運動には距離を置いている。議員の立場を離れていることもあるが、「一市民の対場」で個人の視点から発信、行動することに力点を置いている。国民目線での主張が広まれば、政党、国も動かせる、というのが両氏の主張である。極めて正論と聞こえる。山田氏は脱原発小泉発言を世に広めた最初の報道関係者ということになる。吉原、末吉両氏は「金融業界」からの原発0を語る先駆者とも言えるであろうか。いずれにしても、これまで原発推進あるいは、脱原発に主体的ではなかった立場の人々が、3.11を契機として、「物申す」ようになったのである。特に小泉氏の「宣言」は政権中枢時代とは180度方向性を転換するものであり、過去の自分の姿勢を悔いての発言でもある。総理大臣経験者でさえ、「自分は間違っていた」と感じさせるほどのことが起こったのだ。これは明らかに「日本を変える動き」になる。これらの人々の言動が、広く庶民の日常を動かし、大きな国民運動に成長する可能性も十分秘めている。
 脱、反原発運動は新しい時代に入りつつあると思われる。今までの運動を継続するだけではなく、あらゆる立場の人間を巻き込み、新たな価値観から、本当の意味で「大衆行動」としての運動が始まりつつあるとは言えないだろうか。
[PR]
by tomcorder | 2014-05-05 21:24 | 日記
a0292328_2324918.jpg

<小泉純一郎の>「原発ゼロ」 毎日新聞専門編集委員 山田孝男    2013年12月刊
 著者山田孝男氏は1952年生まれの毎日新聞専門編集委員。2007年10月より現職にあり、人気政治コラム「風知草」を連載している。自身が語っているように、小泉純一郎氏と同じように3.11以降の「にわか脱原発派」としての立ち位置から、「小泉劇場」の解説と作者の脱原発への基本的なスタンスを、裏話を秘めながら、小泉純一郎版「脱原発論」にスポットライトをあて、わかりやすく、原発0への行程をアナウンスしている。
東京都知事選に先立ち、小泉純一郎氏は自民党の中では数少ない「脱原発論者」として話題をまき、世間の関心を集めた。自分が政権の中枢に位置していた時には間違いなく「原発推進側」に位置し、その「ど真中」から原発を邁進する政策を継続した。その張本人が、3.11を契機として、180度方向を転換したのであるから、その「変身」ぶりには、数々の批判や懐疑の念が付きまとうのも、無理はないだろう。そういう私自身も、小泉氏の発言を聞いた時、素直に、すばやく「同意」する気にはなれなかった。では、「小泉発言は間違っている」のだろうか。
 支持、不支持は一時置いておくにしても、小泉語録を紐解くと・・・「(原発は)クリーンだ、コストが安い?とんでもねー。電事連の資料ありゃ何だよ。あんなもの信じる人ほとんどいないよ。」2013.8.13「ヨーロッパはドイツが、アジアは日本が引っ張る。原発0でも経済成長できることを見せればよい。」10.8何と読売が「批判」した。又10.29には「郵政民営化などの比ではない。壮大な夢のある事業」「総理が必要といったから、声が上がらない。総理が0と言えば良い。一人でもやるという心構えが大事」・・・・と続けると、言っていることは「極めてまとも」だ。そして何よりその姿勢が「前向き」だ「総理が決断すりゃできる」と言って暗に「安倍は肝っ玉が小さい」と批判しているのだ。確かに、安倍首相が「脱原発に踏み込む」と宣言すれば「支持率」は今以上に「急上昇」することは予測できる。小泉の言うように、「安定政権」を目指すなら、これ以上位の選択はないのだ。確かに「財界」の「許可」が出るかは疑問だが、「政権強化」に拘るのならこれ以上の「政策」はないのだ。ドイツのメルケル氏の判断を真似るわけでもないが、自民党が小泉氏の意見に耳を傾ければ、「再生エネルギーの効率化」に向かい、我が国は「新しいステージ」に足を踏み入れることも可能なのだ。
もんじゅ、そして最終処分場の問題、と致命的な病理に蝕まれる運命にある、原発依存社会に決別を決意しない限り、未来への展望は開けない。確かに小泉発言はぶれていない。過去の政治的清算は別件として置くにしても、こと原発に関しては正論を続けていると見るのは間違いだろうか。目指す方向が拡散しない限り、耳を貸しても良いのではないか?
[PR]
by tomcorder | 2014-05-01 23:24 | 日記