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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

カテゴリ:日記( 153 )



「電気代500円。贅沢な毎日」 アズマカナコ2013年4月刊
電気代500円。年のために言っておく。1日当たりではない。何と1か月分である。しかも夫婦子供2人けい4人の家族が持家に同居してのはなしである。それも昭和30年代ではなく2013年現在。まさしく現代の東京郊外での実体験である。「そんな馬鹿な」と感ずる節もあるだろう。まず基本料金でさえ1000円以下にするのは、そこそこ難しいい。それなのに500円ということは。基本料金が273円の契約だということだ。結果的に使用量は223円ということにる。この額で収めるためには、使える電力はわずかな照明くらいだ。実際筆者は、洗濯機も冷蔵庫も使わない。勿論エアコンもない。テレビは見たい時のみ押し入れからだすという。基本的に見ないのである。つまる徹底的に「電気」から縁をl切った生活をしているのだ。しかし、筆者はそれで「「貧しさ」や「苦しさ」は少しも感じないという。逆に、電気から「自立し」「自分のやるたい生活のスタイルを実践できるので、かえって「生活しやすい」のだという。おおくの読者にとって「それは無理だ」と感ずるかもしれない。しかし、不思議なことに作者はとても満足そうに自分の体験を一気に語っている。簡単に言えば<好きだから>やっているということなのだ。確かに人間「自分で納得してやる」ことが一番気分がいい。実際私自身も3年前からテレビと縁を切る生活を始めたが、やった見ると、これが意外と「快適」なのだ。テレビをもない時間が返って「おいしい時間」に感じられっるようになるのだ。不思議なことに自分の時間んが前より増えたような錯覚さえ感じるようになるのだ。それにしても作者は徹底していて、なかなか真似をすることは困難だとは思う。だが、ある程度の年齢を経た世代なら「一昔前」ならどこの家庭でもやっていたようなことなのだ。自分自身そのころの(昭和30年代)生活を回顧してみて、「そんなにも大変な生活」だったろうか。私なりの実感としては「そうでもなかった」と言える。確かに当時は電化製品も普及しておらず「やりたくても術がなかった」電化生活だったから、特別の不自由さも感じなかったわけだ。しかし、今それと同じことをやるとなると、非常に困難さを体験せざるをえないだろう。けれど、私的、個人的には、その頃の生活が懐かしくも思い出される。「不便さの代償」に何か「大事な掛け替えのないもの」が満たされていた時代でもあったように思うのだ。筆者は私よりづっと若く、そのような実体験もないのによくもこのような、「タイムトンネル」越えをしたような生活が実行できるのを驚嘆せざるを得ない。
ただ熟年世代からみれば、決してすべてが否定的に判断されるべきではなく、逆にkのような生活スタイルに「重要な価値」が秘められていると認めざるを得ない。原発問題も、決して無関係ではない。欲望のままに原発の推進に全体として進んできたことが、取り返しのつかない社会を形成するに至った。筆者は決して原発のことは一言も語っていないが、本気で脱原発社会を目指すなら、この著で語られるような「生活の質」を自分自身の問題として、切り開く必要があると痛感する。「電力の浪費」を続けながら「脱原発」を語るというのは間違いだろう。
別の角度から、あるべきエネルギー需要の姿を探るためのヒントとして。本著は私にとって、意味のある作品に映った。もう少しこの著者の活動に注目してみたい。
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by tomcorder | 2014-04-26 00:53 | 日記
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  「中国侵略の証言者たち」   ~「認罪」の記録を読む~
                                   岡部牧夫、荻野富士夫、吉田裕編
                                               2010年4月刊
 「日本軍は戦中、中国でどんな侵略行為を働いたのか?」・・・その加害の実態についてはいまだに論争が続いているそんな中、中国より戦犯として起訴された45名の元日本軍兵士、「満州国」官僚らの供述書が近年全文公開された。極めて詳細なこれらの証言から「満州国」統治や侵略行為の実相、そして彼らが罪を認める過程を具体的に検証する。」表紙裏(巻頭辞より)
 1956年6月から7月にかけて、中華人民共和国で45名の日本人が戦犯裁判を受けた。この45名の公判書類である供述書の一部をはじめて日本に紹介したのは、新井利男・藤原彰編「侵略の証言ー中国における日本人戦犯自筆供述書(岩波1999)である。本著はこの供述書の中身を中心に、日本人は中国で何を行ったか、を辿ろうとするものである、と編者は語っている。
この裁判のあと、時期がきて帰国した戦犯の多くが「中国帰還者連絡会(中帰連)」を結成して、証言活動を続けており、供述書とともに世間の注目を引いてきた。もちろんその内容については、「洗脳の結果」だと言って、否定的な論陣を張るグループが存在することも事実である。しかし、その客観性や正確さについては、今後も議論を残すことはあるかも知れないが、このような実体験者の声がこれからいつまで聞けるかわからなくなりつつある現在、希有な資料としても、これらの発言、書類、運動の足跡を社会全体で受け止めて行く必要があるのではないか。
 特に世相が急激に変容しかけている、現在の日本の政治的背景下において、現政権の動きなどにも如実に表れているように、戦後史の評価を意識的に変えようとする野心が端々で見かけられる。自分自身も含め、「戦争を体験してない世代」が国の舵取りをする時代に入り、過去の歴史を今を中心に書き換えることは許されない。本書もその手立ての一つとして、「客観事実」を地道に確かめることしか、先に通ずる道はない。改めて、現在の我が国の政情は各所に危険性を孕んでいると見られる。
私たちは積極的に「過去から学ぶ」必要がある。
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by tomcorder | 2014-04-21 14:08 | 日記
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  「悪用される科学」      生越 忠   1981年10月刊

  作者生越忠氏は1923年生まれの地質学者。発刊当時は和光大学の教授という立場であった。氏は東京大学理学部出身であるが、本著の前書きでこともあろうに「ウソの学問が一番たくさん作り出され、それがあたかも真理であるかのように教えられている大学は他ならぬ東京大学だ」と豪語している。この言葉の裏づけとして、戦前戦中の歴史分野だけに留まらず、国家の都合のために様々な「うその学問」が利用され少なからぬ学者がこれを世の中に広めたという。確かに歪んんだ時代の中でそういう事実は否定できない事実であったようだ。
 しかし、問題なのは戦後、大学は「帝国」という名前を外したが、中身は依然として「国のために都合よく機能する本質」を排除することができなかったという。
公害問題や原発問題に直面する中で、権威ある有名大学の学者たちがどのような学説を訴え、住民に対してどのような立場で臨んできたかを論じれば、科学者と呼ばれる人々の中には、極めて悪質な御用学者が潜んでいることを作者を警告している。
特に本書の中では筆者の専門領域に関わって、刑事事件や空港、ダム等の国土開発に絡む学者の果たした足跡。原発建設に関連した各種地質調査に関わる様々なごまかしと不当な専門家による特定価値観支持。科学実験への偏った過信やおごりによる過去の事故の原因。環境に関わる住民運動の流れの中で、御用学者たちのとった立場や振る舞い。等々を具体的事実に基づきに検証し、激しく厳しく、権威ある「科学者」たちの犯してきた過ちを追及している。
本書は3.11の起こるちょうど30年前に出版された。にもかかわらず、原発事故の本筋を真っ向から問い詰め、科学者や専門家の在り方を徹底して問題視している。福島第一原発事故後にマスコミに登場した専門家、学界の権威がどのような見解を力説したかを振り返れば、氏の主張を理解することも容易である。確かに、頻繁に登場した顔の中には「東京大学」という肩書が多く見られたかもしれない。日本を縦断する「権力構造」の中に、科学者も取り込まれ、いわゆる「原子力ムラ」が強大な腕力・権力を広げている現在。「ウソ」がまかり通る社会が継続するとしたら、悪夢である。
今渦中のSTAP細胞問題も一般人にはわかりにくいことが多いが、科学の世界もいろいろ複雑な問題を抱えていることは少なくても感じ取れる。
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by tomcorder | 2014-04-20 14:27 | 日記
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「2014年戦後最大級の経済危機がやって來る」 高橋乗宣  浜矩子
                                              2013年11月刊
 2014年の4月1日現在、世界の経済状況には波乱要因が山積みしている。「夢よもう一度」とばかり鏡に中に過去の日本を映し出そうとしている安倍政権はそこに映る自分の顔が見えていない、という。
東京5輪は錬金術ではなく過去に5輪を経験した国は開催後経済危機に陥ることも多い。消費税増税の実行が始まったが、社会保障にあてるというのはうわべの口実で、「法人税減税の穴埋め」としか見えてこない。欧州もアメリカも中国も新興国もそれぞれ火種を抱えており、「内外相克」の問題は最早世界共通化しつつある。グローバル経済と国民国家との相克が世界恐慌の引き金にもなりうるという。一時話題になった言葉だが「ユニクロ栄えて国滅ぶ」がまさに現実化しつつあるのが最近の状況ということになる。ひたす...ら過去の成長を求め、シャブシャブ政策を続けても、時代錯誤な悪あがきを長引かせるだけだ。横文字言葉で大衆やマスコミを洗脳せんとしても、庶民から召し上げられた金は企業に回るだけで、弱者は見捨てられ末端は豊かになれない。ばら撒いた金は強い企業が溜め込むだけで景気は活性化しない。国民の全体でこのご利益にあずかれる層は一体どれくらいの割合だろうか。圧倒的多数の人間は暮らしは楽にならない。ヒステリックに「世界一」を叫んでも、グローバル化した時代には逆行するような戦略であり、格差が広がり豊かさを実感できるのはほんの限られた層の特殊な事例になりそうだ。
「金飛び交って国滅ぶ」が2014年の流行語にならなければよいがと作者は警告している。
「浜矩子氏の言葉」を借りれば、我が国の目指すべき方向とは「シェアからシェアへ」だそうである。つまり「独占のシェア」から「分かち合うシェア」が愛言葉となるのだそうだ。
目指すべき国家像は「包摂性」と「多様性」に富んだ「新しい世界」であり、成長戦略から成熟戦略をめざす国家だと説いているが、さてどうなるか?             

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by tomcorder | 2014-04-01 22:51 | 日記
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   「老楽国家論」  <反アベノミクス的生き方のススメ>
                浜矩子   2013年11月刊

 時代を超え未来を投影するエコノミスト浜矩子の最新の一編。「老楽国家論」とはまた、年寄り臭い、モダンなセンスの対極を行くタイトルの付け方と一見受け止められそうである。しかしサブタイトルの、<反アベノミクス的生き方>を読めば、このタイトルはアベノミクスに対する「反語」であることを知ることができる。つまり、アベノミクスは「老楽」の対立概念して捉えている、ということである。老楽とはいかにも夢のなさそうな、活力に欠けるようなイメージの言葉であるが、いかにも作者の作戦というか、アベノミクスの本質を描き出すために探し出した、「執念」のこもった造語だということが、本書を読み通せばよくわかるのである。
作者に言わせれば老楽の対極にあるアベノミクスの概要は「若くて、エネルギッシュ」で競争に打ち勝とうとする闘争心丸出しで脂ぎっているという。時代を冷静に分析すれば日本はもう猛烈な競争に勝つための手段も場所も物もなく日本を取り巻く状況もすっかり様変わりしている。時代が変わっているのに昔のような筋肉マンのような経済体質を目ざすこと自体が、時代錯誤であり現実無視でもあるという。「夢よもう一度」と力づくで経済を動かそうとするのは余りにも「若い、稚拙な考え」と作者はいいたいのであろう。アベノミクスの各所に現れるキーワードを読み解けば、いかに現政権が向かおうとしている方向が、世界の情勢のなかで独りよがりの読みをしているかがわかる。じっくりと作者特有の「しゃれ」と「皮肉」で読者の「知性」を心地よく刺激してくれる。まさに[浜矩子」=「反骨のエンタテイナー]の臭いさえする。
 力を抜き、浜文学ともいうべき,個性敵な比喩や,独創的空間を描き出し、世界の国々の特徴さえアニメでも見ているかのように、大胆なタッチで寸評し、目指すべき国家像を探し出すべく論を進めている。
幅広い内容を、飽きさせることなく、しかも基本的経済用語、経済視点を初心者向けに解説しながら、全体の方向をめざす方向に進めている。まことに器用で贅沢な、書きっぷりである。
氏は「エコノミスト」という肩書きで紹介されているが、読んでいるうちに「経済を題材」に扱う「創作作家」のような印象さえする。
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by tomcorder | 2014-03-12 23:04 | 日記

「大震災のなかでー私たちは何をなすべきか」
                   内橋克人、他  2011年6月刊

3.11の大震災のあと、内橋克人氏以下様々な分野の論陣が震災後のあり方を語ったものを編集、編成したもの。例を示せば・・・
・私らは犠牲者に見つめられている(大江健三郎)・原発震災と日本(柄谷行人)・大阪の読売新聞(中井久夫)・想定外の大震災とは(竹内啓)・・・大規模な人権侵害が民主的に行われている(三好春樹)・被災地には生活が続いている(湯浅誠)・後戻りする復旧でなく新しい復興計画を(金子勝)・危険社会から安全・安心社会を目指して(河田恵照)
等々。
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by tomcorder | 2014-03-06 18:58 | 日記
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<辺見庸2題>
「水の透視画法」「国家、人間あるいは狂気についてのノート」
                 2011年6月、2013年2月刊

 前者は2008年から2011年頃までの新聞各紙に掲載されたものを再編集したもの。後者は2003年から2012年11月までの新聞、雑誌、詩集等から抜粋、辺見庸コレクションとして「再編」されたものである。主に短いエッセイ、評論、詩作などからなる。
 作者辺見庸氏はかつて共同通信社の記者であった。文芸作家となっても時代をえぐる鋭い視線は貫徹されており、その表現の切り口も極めて鋭利で、妥協を許さぬ厳しさを感じさせる。扱っている題材も政治性の強い話題が多く、世の論争にもなっているような重いテーマを題材に並べているケースが多い。筆者の一貫した視点は決して規制の勢力からの見下ろすような姿勢ではなく、かたくななまでに個の尊厳を貫こうとする意志を各所で感じさせる。時代をとらえる目の鋭さ、感性のみずみずしさは特筆するに値する。だから、2011年3月11日以降の大惨事も、彼は「予言」、というより「予感」することができたのだ。筆者は惨事の直前に「何かが来る」ということを、具体的論理でなく、「感性」で感じ取っていた。それは「地震学とか地学や物理のレベル」ではなく、動物的とも言える感受性によるものだったかも知れない。そして彼は現在も予言する。「最早戦中だ」と
当たることを決して希望はしない。しかし、同じような「風の臭い」を感じている諸氏は結構多いと認識している。明日から、来月、来年、3年、5年と筆者の予感はどのような展開を見せるのか、気になるところではあるが、最近の安倍政権の有り体を見る限り、決して暴論とも思えない現状ではないだろうか。
寒気を覚えるのは私の体調のせいか。

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by tomcorder | 2014-02-26 17:13 | 日記
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   「アベノミクスの真相」       浜 矩子   2013年5月刊

 またまた登場。「アホノミクス」を看板に掲げ、鼻息荒い「経済界のハマちゃん」こと浜矩子氏の昨年5月の刊行の「アベノミクス3本の矢」の徹底分析解説書。もちろんアベノミクスを根底から「裸に」しようとする「反アベノミクスの挑戦状」としての位置づけのうちの一つである。
 アベノミクスに対する氏の論調はいつも手厳しく、徹底的挑戦口調で終始しているのであるが、本書もご多分に漏れず、全く手を抜くことを知らず、これでもかと言うくらい、3本の矢とやらを酷評している。
筆者は巻頭辞からして、アベノミクスを「妖怪」と定義づけている。つまり人々の成長期待感と閉塞脱却願望につけ込み、根拠無き熱狂に追い込み、庶民の夢をむさぼり尽くす、・・・存在だというのである。そもそもその名称からして、<.まやかしであった「レーガノミクス」の2番煎じであり、毒気満載で人々を惑わすものだ。>と容赦ない。
本書はChapter1~3の3章編成で、全編が23項目から成立っている。その各項目に「表向き」の政権側からキャッチフレーズ(俗論)と、対抗する筆者の分析する見方(真相)が対をなして掲げられている。まことに興味津々たる構成で、読む前から「食欲」をくすぐる手立てが講じられている。例えば、Chapter1/第6項目(俗論)「アベノミクス効果で高額消費も増え始めた」(真相)「庶民の賃金は上がらずデフレも終わらない」とか、Chapter2/第11項目(俗論)「国土強靱計画で景気回復が望める」(真相)「バラマキ政治への回帰。大いなる時代逆行」とか、第17項目(俗論)「日本は法人税をもっと減税すべき」(真相)「法人増税も一案。租税哲学を確立せよ」・・・等々、全く真っ向からの「正面衝突」で読んでいるだけなら誠に痛快である。しかし現実はどうなのか、どうあるべきなのか?なかなか素人には判定が難しい面もある。とはいうものの、これらは結局、時の流れのなかで、より明白な結論が導き出される。「株価や円安の動向は?」「輸出は伸びるか?」「雇用は拡大するか?」「労働者の賃金は上がるか?」そして最終的に景気はよくなるのか?2014年中にはこれらのあらかたの「実像」が判明するであろう。そして「浜矩子節」が「正調」か「調子外れ」かも判明してくるであろう。もうそろそろ、見えかかっている気配を感ずるのだが・・・。
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by tomcorder | 2014-02-22 18:24 | 日記
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「共生の大地」ー新しい経済が始まるー 内橋克人  1995年3月刊

経済評論家の大御所、内橋克人氏の1年間にわたる新聞掲載の評論集を1995年にまとめたもの。全体が①使命共同体のパラダイム②辺境と周縁の条理③実験的社会システムの旗④政策と合意のはざま⑤多元的経済社会への道標、の5部編成からなる。
 今からもう20年以上前の評論ではあるが、その多くは現在でも課題進行中の内容である。その意味において的を得た着眼点をもっており、氏の本質を熟視した目は、時代を超えた価値観を共有している、といえよう。そこに流れる概念は正に「共生」であり、バブル期以降迷走を続ける我が国の経済状況に、様々な角度から、新しい灯を探ろうとする試みの紹介でもある。例えば第3部ではエネルギー問題を扱い、再生可能エネルギーシステムへの転換の挑戦の諸例を掲げ、我が国のエネルギー政策へのポイントを適格に指摘している。これらは20年前の提言にも拘わらず、現在の状況に対しても大いに有効な方向性を示していると言える。
現在我が国は、「アベノミクス」の掛け声の下に、政府は、日本経済復興のシナリオを描き先に進もうとしているが、その向かう方向がいかにも「復古調」であり、高度成長期の「古き日本を後追いしている」と厳しい批判を投げかける学者、論j者も少なくない。このような情況の中、20年も前に筆者は現在のような事態を予測したかのように、経済に関わる諸断面に未来志向のビジョンを提供しており、今なおその姿勢は新鮮である。
「古い価値観」を変え、国として目指すべき「新しい価値」「新しい社会の在り方」を模索しない限り、我が国の経済に光明はささない、と筆者は語り掛けている。
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by tomcorder | 2014-02-19 12:25 | 日記
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  「死と滅亡のパンセ」   辺見庸  2012年4月刊

作者辺見庸は1944年生まれの作家。宮城県石巻市生まれで、共同通信社の北京特派員、ハノイ支局長などを経て、96年退社。文筆活動を始めた。本著のタイトルに掲げられた「パンセ」とは「思想」に近い意味か。パスカルの著した作品がその原型とされているようだ。
作者の故郷を襲った3.11の大災害は、日本を大きく変えた。しかし、このような自然災害や原発事故の起きることを、作者は事前に予見していた。それは具体的な根拠を持って、というより、研ぎ澄まされた「感性」から時代の文脈を読み解く中で、「啓示」のごとく浮かびあがってきたものと、憶測する。かれは大地震も原発事故も経済の混迷も予見していた。そして今、現在は既に「戦時」であると認識し、市民がそれと自覚する前に着々と戦争の道に進んでいると述べている。確かに昨今の政府の動き、総理大臣や閣僚の言動は筆者の言動を裏付けるに十分だ。しかも、日常的現象のなかに、一歩一歩真綿で締め付けるように、重苦しい重圧が国中に漂い始めているという。賢明なる諸氏はその諸断面を、身の回りから写しだせるかもしれない。各自の触覚を少し伸ばして感度を上げれば、それほど難しくもないはずだ。この動きは単に政治の舞台のみならず、日々の出来事、人間関係の中に表れはじめている、と筆者は説く。その警告をどれほど適格にとらえ、各自の問題意識とすることができるだろうか。
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by tomcorder | 2014-02-15 20:18 | 日記