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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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「福島原発事故記者会見」ー検証、東電・政府は何を隠したのかー
                日隅一雄・木野龍逸 2012年1月刊

 今から約1年ほど前に発刊されたフリーランスのジャーナリスト二人による「渾身」の1冊。著者の一人日隅氏は果敢に質問を続けていた最中、「胆のうガン」の宣告を受け、ほぼ1年後の今年の春、惜しまれつつ皮肉にも「ガン」でこの世に別れを告げた。正に自分の「命」をかけて重く強大な「敵」と真正面から戦った氏の意思は心ある多くの「同志」の共感を呼び、「伝説の人...」になりつつある。この書を通し二人は3.11以来の東電・政府の主だった対応の赤裸々な事実をありのままに分かりやすく語り綴った。そして己の信念に従い、特定集団の利害のためでなく、国民のため、勇気をもって真実を追究しようと初心を貫いた。その一言一句を本誌からたどってゆくと、金のためでなく、ジャーナリストとしての良心を失うことなく粘り強く、東電や政府関係筋に迫る筆者のの熱気と本気が伝わってくる。マスコミ一般の姿勢に対しても強い問題提起も投げかけており、これからの報道陣が果たして彼らの願っていたような方向性を確保して行けるか、読者は厳しく見守って行かなければいけない。マスコミを健全化するのは、結局は一般民衆の適格な目と耳と正しい情報を読み取る判断力だ。ネットを中心として高まってきた自分の頭で考える読者、視聴者の資質がこれからのマスコミの方向性を決める重要な因子となっていることは間違いなかろう。
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by tomcorder | 2012-12-30 21:58 | 日記
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反日感情を操る「中国の正体」       黄文雄  2012年10月刊

作者は1938年台湾生まれ、1964年来日し日本の大学、大学院を卒業後、文筆活動に入った人物である。最近の日中関係を鋭く切り込む書か?と思い興味を持って読み始めたが、作者の立ち位置は徹底して「反中国」であり、基本的な価値の軸は「反共」である。そういう人物の作品と思って読めばそれなりの理解は出来るが、前向きな日中関係を模索していこうするには、余りに一方的な論理構成になっている。要するに、米国を中心にした日本、韓国等資本主...義の陣営に属する国々が発展、成功を修めた国であり、ロシア、中国、北朝鮮は暴力がまかりと通る「理解しがたい」国家群といいたいらしい。確かに経済力から見れば、これまで落差も見られたが、最近の中国についてはその経済力は最早無視できない存在だ。近い将来アメリカさえも追い抜くと言う予想もでているのであるから、嘗ての中国論で押し通そうとするのは無理になっている面もある。勿論作者の言うように、中国は大きな国土と膨大な人口からなる国であるから、様々な内部矛盾を内に秘めていることは否定できない。しかし、一方的に「中国は暴力的な国家であり、日本に無茶苦茶難癖をつけて、自分の言うとおりにすべく日本を脅して居直っている」というのは言い過ぎであろう。氏の言い分は日本の超保守的な言論陣よりさらに過激であり、どうも台湾出身の物書きの中には過激な右派が目立つような気がするのだが、どうだろう。「日本よ毅然たる態度を取れ」というのは善意に解釈したいとは思うが、客観的な「歴史認識」となるともう少し「冷静に」資料を吟味する必要があるようだ。今回の書は「話半分」として理解すべきと考える。
     
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by tomcorder | 2012-12-27 19:06 | 日記

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集団的自衛権とは何か     豊下楢彦  2007年7月刊

国連憲章によれば、加盟国はどの国も平等に自衛権を持ち、個別的自衛権(自国防衛のための軍備)と集団的自衛権(同盟国どうしの共通の敵に対する相互軍事力)とを有するとされる。日本も例外でなく個別自衛権はもとより集団的自衛権も「権利」としては所有するとされていたが、わが国の憲法の特性から実際に国外での軍事力の行使は出来ないとの立場を堅持してきた。しかしこの流れは「湾岸戦争」の頃から方向を変えようとする動きが現れだし、小泉政権の時...「非戦闘地区で非戦闘行動」という範疇での自衛隊の派遣を行うまで踏み出してしまった。勿論この選択の国民的総括も是非を問うことも論議せず、今始まろうとする安部政権においては、「憲法を改定」してまでも、集団的自衛権の海外での行使に踏み出そうとしているのである。しかも「協調的日米関係」の前提の上に、相互の軍事力補強関係に進もうとしているのである。安部晋三は祖父の足跡を追いかけるかのような素振りを示しているかのように見えるかも知れないが、作者によれば、その内実はまったく違っていて、岸信介が安部を見ればさぞかし眉をひそめていることだろうと述べている。すなわち日米関係の捉え方が祖父と違い、アメリカへのコンプレックスで充満しているのが孫の実姿だということらしい
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by tomcorder | 2012-12-20 21:21 | 日記

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「終戦日記」を読む 野坂昭如   2005年7月刊

昭和20年8月終戦を迎えた年、作者野坂昭如は14歳だった。神戸市で空襲で焼け出され親権者から離れ、家も失い命からがら、親の知り合いを頼って福井県春江町に妹と二人で疎開していた。やがて作者は唯一の家族である妹を失うことになるのだが、幼い妹の亡き骸を一人で埋葬する立場に立つことになる。まさに「蛍の墓」のモデルだったのだ。本書は作者が集めた終戦前後の何人かの「日記集」を柱に当時の作者の目から見た解説と自分の体験から発せられた「告...白」とも言える訴えかけるような文章で綴られている。一時マスコミの舞台に華々しく登場した時期もあったが、氏の本来の持ち味は決して軽々しく扱われるような個性ではない。一貫して戦前戦後の日本の歩みと戦後史を冷静に見つめ、自己との濃密な接点の中から研ぎ澄まされた表現を試みようとする氏の姿勢は、氏を愛する人間には痛烈に突き刺さるものがあるのだ。所詮上から目線で人を切り捨てようとする某暴走老人とは物を書く姿勢が根本から違っていると思う。年を重ねても決して物分りの良い老人になろうとせず、あくまで自分の目でまっすぐな視点を失わない氏の姿勢から、我々後輩は学ぶべき点は多いと感じている。
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by tomcorder | 2012-12-16 18:57 | 日記
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「プルトニウム」   核戦争防止国際医師会議+エネルギー環境研究所+
                     高木仁三郎解説    田窪雅文訳  1993年11月刊
 初版発刊より20年弱が過ぎ去っている現在、この書の持つ存在感は重みを増している。この当時すでにこれだけの指摘と警告がなされ、世界に強いメッセージを発していた。この時点で、放射能汚染の事故は米国でも、ソ連でも起きていた。スリーマイル、チェリノブイリの原発事故の脅威は全世界に知れ渡っていたが、核兵器製造に発する各種...放射性廃棄物の処理過程及び貯蔵に関連して、こんなにも甚大な事故被害があったことは意外と知られていないのではないか。そして我が日本も重大な歴史的事故を起こし、放射能汚染の問題は国家の存亡に関わる問題となっている。プルトニウムは兵器製造と民生利用の垣根がはっきりしておらず、原発のためという名目であっても、核兵器製造に転ずることが十分可能だという。一部政治家が言う通り、プルトニウム保有は、潜在的核抑止力になるというのは言葉の意味としては成り立つのである。しかし、プトニウムのもつ毒性や計り知れない危険性、将来も解決の見通しのない廃棄物処理の工程など、正に人類が生み出した最悪の創造物ともいえる存在なのだ。この書でまとめている通り、プルトニウムは「資源」ではなく「危険な放射性廃棄物」と見るのが現実の姿と言えよう。日本は原発事故の収束への戦いとともに、処理しきれないほど溜まったプルトニウムとどんな折り合いをつけるのか、まだ誰も確固たる青写真を描けないでいる。こんな中で「原発再稼働、継続」を主張することは、「地獄へまっしぐら」と言われてもしかたない連中、と思えるが諸氏はいかがお考えだろう? 
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by tomcorder | 2012-12-15 16:51 | 日記

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「騙されたあなたも責任がある」
 小出裕章著
                                     2012年4月刊

言わずと知れた京都大学助教、小出先生の今年4月に出された著。3.11以降ほぼ1年が経過した段階での、福島第一原発事故後の日本人が考えるべき問題事項に対し、著者の経験と専門的考察にもとづき、率直な提言を展開している。紙面の制約からポイントを絞り、いくつかの観点から「箇条書きに」質問に回答する形で持論を繰り広げている。勿論氏は筋金入りの原発廃止論者であり、「人生をかけて」原発の矛盾と真正面から対決してきた学者である。しかし氏の推論の仕方は決して「思い込み」ではなく、学者としての理性によって「客観的データー」を解析したうえでの「科学的結論」として広く呼びかけているのである。よく言われていることではあるが、小出氏は科学者の「良心」を失うことなく、自らの信念を曲げず、事故後のあるべき姿を投げかけている。今後何年も、恐らく死ぬまで続く「放射能との戦い」にいかに、最善をつくすべきか、正に「苦渋の選択」を提起している。そこにあるのは、「明るい未来」とは言えない、「汚れてしまった世界への」覚悟と付き合い方だ。少なくとも幼き世代をいかにして守ってゆくか、責任ある世代の「最低限のマナー」を示しているのだ。そこからは「原発再稼働」などという考えは正に、「狂気」としか写らない。衆議院選挙の結果いかんによっては、日本は現実に「狂気の国」となるのだ。日本の危機は個々の国民が立ち上がらない限り救えない。政党は最早期待できない。
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by tomcorder | 2012-12-09 16:18 | 日記