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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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  「放射能から子どもの未来を守る」  児玉龍彦 金子勝 共著
                                      2012年1月刊
福島第一原発事故後の日本はかつてない大災害に直面し、多くの被害者が深刻な状況のなかでぎりぎりの闘い続けている。この未曾有の災害のなか、二人のほぼ同世代の学者がそれぞれ異なる分野から、国の、社会の矛盾や病巣を見抜き、厳しく問題点を追求している。児玉は放射線医学者の立場から、金子は経済学者の立場から、原発の存在と事故の及ぼす重大な健康被害や将来に対する想像...を絶する負の影響について、日本の原子力複合体すなわち「原子力村」に対し激しい非難と告発の言葉を投げかけている。確かに、福島の事故後理不尽な国や東電そして関係機関の対応が続き、一般庶民にとって耳を疑うような言動を見聞きし、驚くことがすくなくなかった。原子力発電がこのように問題性を持ち、いかに危険な存在であったのか、多くの国民が気づくこととなった。
今後放射能による被害がどのように顕在化してくるのか、誰も確証が得られず、様々な心配な懸念されている。
従来の関係機関が信頼を裏切るような対応を示し、深刻事故に対し、いかに曖昧な対応策しか用意がなかったか、露呈してしまった。誰が責任を取るべき存在なのかもはっきりすることもせず、時間とともに又もとの木阿弥に戻ろうとする気配すら伺える昨今の政治状況のなかでは、筆者二人ならずとも、憂鬱な未来を危惧してしまう。
金子氏が巻末で述べている通り、子どもの未来のために、前向きな体制を大人が作り出し、新しい社会構造のなかで、子ども達が夢を描けるようなしくみを作ってゆくのが我々の責任といえるのだろう。
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by tomcorder | 2013-01-27 17:34 | 日記
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「未来に続くいのちのために、原発はいらない <第3号>              PKO法「雑則」を広める会2011年12月刊
アヒンサーの第3弾。今回は前半は被曝医師、肥田舜太郎氏の証言で綴られている。肥田氏は28歳の時、軍医として広島の原爆に遭遇した。以来66年間様々な被爆者に寄り添い、被爆者の生き様、死に様をしっかり見つめてきた。そして、放射能の恐ろしさ残忍さを誰よりも近くで感じつつ、核廃絶のため生涯を捧げて闘ってきた。自分の体験を通して語った内容だけに、言葉に重みがあ...り、自分でかみ締めるように、切々と放射能の脅威とアメリカや日本政府に対応の仕方を厳しく追求している。放射能の被害を認めようとせず、国やアメリカ当局がどんな理不尽な態度を取ってきたか、はっきりと断罪している。医師という立場から、内部被曝の実態を赤裸々に語り、原発のだす放射能にもどう対処すべきかを強く訴えかけている。氏は又、各国の被曝の真相を世に問うた書籍の翻訳にも精力的に取り組み、何冊か著名な書の和訳版を発刊し、日本人むけに、放射能の真相を広く啓蒙する活動にも力をつくした。
 日本は放射能の被害や悲惨さを隠そうとする傾向が強いという。余りリアルに放射能の悲惨さを伝えると、原発が推進されないという心配が先にあるのかも知れない。しかし、真実の姿を見ない限り、未来のあり方は見えてこないと考えるべきである。
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by tomcorder | 2013-01-27 16:26 | 日記
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 「未来に続くいのちのために、原発はいらない<第2号> 
                             PKO法「雑則」を広める会

前半は1997年59歳で死去した、1級プラント配管技師能士平井憲夫氏の文章「原発がどんなものか知ってほしい」から。氏は長年原発各地の現場で働き、その工事の一部始終を直視してきた。正に原発の表も裏も知り尽くした職人の目で見た原発の実態を赤裸々に語っている。氏が言うには年々原発工事は「しろうと」が担当するようになってきているという。いかに周到な設計がなされたとしても、実際...に工事に当たる現場が素人で進められている現実では、ミスが出てきても不思議はないという。実際年を追って事故の重大さが増し、いつ壊滅的な事故が起こってもおかしくない。そういう状況を告発し、一日も早く廃炉への選択を迫っていたのだが、氏の心配も空しく3.11を迎えることになってしまったのだ。福島事故以前にこれだけの問題提起と論争が行われていた。決して想定外ではなかったのだ。
後半では、資料集として、原子力損害賠償法(原賠法)にまつわる一部始終と問題性を史実にもとづき、冷静に厳しい口調で追求しその犯罪的成立過程を激しく責め立てている。結局、国の判断は国民の健康と命より、原子力産業の伸展であった。その姿勢は福島第一原発事故後の現在、自民党政権下になった時点でも、反省の兆しもないと判断せざるを得ない状況が続いている。2年も過ぎないのに原発再稼働への道を目をつぶって失踪しようとしている。誠に節操のない国だ。
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by tomcorder | 2013-01-24 22:18 | 日記
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 「原発のコスト」        大島堅一
                                   2011年11月刊

「原発のコストは他の発電より最も安い。だから原発比率を高めてゆくことが望ましい。」福島原発第一事故の前はこんな宣伝がしきりになされていた。福島原発事故以後さすがに原発比率を高めよという声は聞こえなくなった。しかし、最近燃料費などのコスト高のため、「電気料金の値上げ検討」などと言う声が上がり始めている。「本当に原発のコストは安いのか?」この疑問に真正面から対決したのが、本書の執筆者大島堅一氏であ...る。氏の論理によれば原発のコストが安いとされているのは「燃料コスト」の違いであり「電事連」から出されている、狭い範囲での「コスト比べ」の所為であるという。しかし、実際のところは発電コストは「稼働率」で変わるし、原発にはうわべの電気料金以外に法外な、社会的、政策的コストがかかっている。燃料代だけに注目し、他のコストや条件の不公平性に目を向けないのは、原子力複合体(原子力村)の意図的なトリックである。事故の対策処理コスト、再処理コスト、バックエンドコストまで考慮するととてもではないが、「原発が安い」などとは言えない。あたかも原発が安上がりであるかのような電気料金の設定事体がまやかしであり、事の真相を伝えていない。「経済の専門家」が考えても、原発は最早将来的に「採算」が取れないことは明白である。しかも数々の環境的負の遺産を増やしてゆく運命にあるのだ。ちょっと考えれば脱原発こそ最も低コストであり、今後は再生可能エネルギーの比率を高めることが、コストを考える点からも妥当な選択となる。全く筆者の主張には賛成である。「汚れたエネルギー」からいち早く抜け出すことこそ、世の中をリードする唯一確実なルートと確信する。事実ドイツは日本よりはるか先を進んでいる。差をつけられたのは「指導者」の差と言いたくなる。実際、我が家に於いても再生エネルギーの将来は期待が持てるということを実証しつつある。先見性を持って力強くリードしてこそ、政治家の本分ではないか。その意味において日本の政治状況は誠に貧しいと感じざるをえない。
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by tomcorder | 2013-01-22 22:24 | 日記
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  「東電株主代表訴訟」  <原発事故の経営責任を問う> 河合弘之                                 
                                           2012年7月刊

 東京電力福島第一原子力発電所は歴史上かつてない大事故を起こしてしまった。地震連動事故とはいえ、1~4号に置いて重篤な事態を引き起こしてしまった。福島県を中心に被害は広がり、仕事を奪われ、ふるさとを奪われ、家族離れ離れになり、今後の生活の見通しのつかない何万人の人々を生み出した。日本の歴史上ない大被害である。なんの罪のない人々が数日、数ヶ月のう...ちに予想も出来なかった世界に落としこまれたのだ。ではその犯人は誰なのか?全くの自然災害ならば、首謀者をさがしだすことは困難である。しかし、「原発事故」に関しては、以前からその危険性を指摘する人々が存在し、電力会社の株主総会や、学会や各種団体の発表の場を通して、何度も過酷事故の可能性が叫ばれてきたのだ。そんな中で「東日本大震災」に連動して発生したこの原発事故は、決して「想定外」の事故では無かったのだ。数々の指摘に対して一切防御措置を取らず、ひたすら権力、金力、政治力で既得権益をひたすら追求した勢力には、相応の責任があるはずだ。社会に正義があるなら、無実の被害者を貶めた「犯人」は必ず罪を償う義務がある。では、原発事故の現実的「首謀者」とは誰なのか?その一つの切り口が本主題である「株主代表訴訟」である。つまり、会社経営の責任を負う立場の人間がその職務を怠慢し、社会的にも自らの責任を果たさなかったがために、多くの被害を出し会社や株主に多大な損害を与えた。・・・という訴えである。従ってこれらの加害者が果たすべき償いとは、自らの力で損害額の賠償を果たすという責務を負うというのが具体的要求である。その額概算で5兆5045億円である。この金額をしても福島の人々のふるさとは取り戻すことはできない
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by tomcorder | 2013-01-19 21:41 | 日記
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 「原発事故の被害と保障」  大島堅一・除本理史共著
                                    2012年2月刊 
2011年3月11日。日本を襲った東日本大震災。死者15841人、行方不明者3485人。大雑把に見積もっても16兆9000億円以上の大被害をもたらした。しかし、金には換算できない重大な被害は数字では表せない。ましてや、フクシマ第一原発の大事故のもたらした、日本の歴史始まって以来の「大惨事」は余りに深刻すぎて、今なおその被害の全容を描き切れていない。
 この大事故の被害を可能な限り分析し、その特徴と保障されるべき内容を客観的に書き綴ったのが本書である。原発事故のもたらした、極めて深刻な被害の本質を浮かび上がらせることにより、何を補償すべきか、誰を保障すべきか、誰が保障すべきか、・・・を事実経過に基づき、懸命にに追求している。
 事故の直接加害者たる、東電のあり方、国の責任の取り方についても、厳しい論考を加え、曖昧な結末に陥ろうとする情勢に警告を発している。国の責任の大儀に隠れ結局は、国民の負担を隠れ蓑にしようとしている、財界をはじめ既得権に甘い汁を吸ってきた、「原子力村」総体に対し激しい怒りと、「国家正義」の欠落を叫ぶのは、極めて正当な訴えであると結ばざるを得ない。

  
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by tomcorder | 2013-01-18 21:47 | 日記
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 「未来に続くいのちのために原発はいらない」  
                                         第1号  
          PKO法「雑則会   」を広める2012年10月刊
脱原発のため行動する市民有志によって発刊された、原発から生み出された放射能の被害や影響力を伝える情報誌。脱原発、反原発を呼びかける3人の声明文と資料編で構成されている。3人とは愛媛県伊方原発のある地域のプルサーマル計画に疑問を持ち立ち上がって行動をおこした当時小学生だった男子、と高知県東洋町で町長として玄海原発プルサーマル裁判に闘い続ける澤山氏の体験談、および北海道の泊原発による海水温度上昇を30年計り続けて、海を守ろうとしている斉藤氏の経験と決意の談話で構成されている。それぞれ自分の考えと行動を通し粘り強く信念を貫いている。
 又、資料編においても、客観的事実に基づき原発のもつ反社会的影響力、生命に対する冒涜ともいえる数々の犯罪性を、冷静なデータ及び信頼すべき文献から、理論的に組み立て、危険な現状を厳しく追求している。こんな状況で現政権はどんな方向に舵を切ろうとしているのか?伝わってくる情報からは、実に危険極まりない諸政策の諸々が、正に「正気の沙汰」とは思えないのは私だけの感想だろうか。福島の現状を一体どう判断すべきかも定かでない状況の中、「再稼働」などあり得ないと考えるのが「まともな人間」の思考経路ではないだろうか。日本は再度間違った選択をしてはならない。本書を通し意思ある人々が行動しなければ、悲壮な結末になるかも知れない。
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by tomcorder | 2013-01-17 19:06 | 日記
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 ルポ「イチエフ」   布施祐二著  2012年9月刊

東京から福島に十数回通って綴った、現場からのルポルタージュ集。原発事故後の末端労働者の実態と訴えを根気強く描いた衝撃の報告書。原発労働及び原発という社会的存在を現場の声を中心に描いた重い一冊。原発の底辺で働く労働者がどんな環境下で働き、どんな待遇を受け、どんな生活をし、どんな想いを引きずって日々を生きているか、具体的な発言をもとに、描きだした注目すべき作品だ。それにしてもひど過ぎる。「命を賭けた労働」の対価が余りにも軽々しく扱われていると判断せざるを得ない。原発は放射能で人間を汚染するばかりでなく、人間の精神までも冒すものだ。原発は誰の為に動かしているのか?一人ひとりが答えを出すべきだ。
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by tomcorder | 2013-01-16 22:06 | 日記
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 「市民科学者として生きる」   高木仁三郎  1999年9月刊
 大腸がんのため入院、手術、闘病の最中で本書を執筆した。61歳の誕生日を過ぎてまもなくだったという。自分の生命が長くないことを自覚し、高熱や下痢にに堪えながら、渾身の力で原稿を書き続けた。勿論ベッドの上で。本書は作者の「夢と希望」を残された世代へ託した作品である。筆者自身が語っているように、希望を持つ事によって自らの「生」を行き続けようとしたのである。本書は筆者の生い立ち、経歴から「高木学校」開設に至るまでの紆余曲折を作者自身の思いを織り交ぜて、率直にかつ第三者的視点で書き綴った。最初は決して「反核の闘士」ではなかった。本人が語っているように、むしろ遅くれて立ち上がった運動家の一人であった。しかし、常に「自分のスタイル」にこだわって歩いてきた人だからこそ、目差す方向に対してはまっしぐらであった。「科学者」と「一市民の」の両面からの目線で、まさに高木仁三郎だけにに出来る世界を構築してきたと言える。彼の言葉から是非伝えたい一言がある。「反原発というのは、何かに反対したいという欲求ではなく、より良く生きたいという意欲と希望の表現である。」そう考えてみると、国会周辺に抗議する市民が集まってくることにも特別な意味があるような気がする。
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by tomcorder | 2013-01-15 21:14 | 日記
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 「原発をやめる100の理由」 <エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち>
                    日本版製作委員会・西尾漠監修     2012年9月刊

 ドイツの小さな村シェーナウの人びとが、チェルノブイリ事故後、自然エネルギーの電力会社を立ち上げた。今やドイツ全土で13万戸の顧客を抱えるまでに。本書は彼らの電力会社が、客に働きかけるために配布している冊子に「日本の実情」を付け加えたものだ。
 国が違っても、原発を推進する側の考えややり方は共通するところが多い。しかし、それに対して原発をなくそうとする動きは、ドイツとは温度差があるようだ。ドイツでは福島原発事故のあと、「脱原発」に国を挙げて舵を切った。それには民間レベルでの根強い運動と地道な取り組みがあったからだ。一人一人の声をつなげるしたたかな、市民の「行動力」と「判断力」が積み上げられて「国」を動かしたのだ。現状では日本はまだそこまでの状況は生まれていない。それどころか逆旋回しそうな雰囲気さえ感じられる日々の政治状況である。しかし
確実に、原発の実態を見つめ、あるべき方向に向かおうとする市民の声は「確実に」歩みだしている。この寒空の下でも「意思」をもった市民は、黙々と抗議行動に結集している。おそらくこの動きは、多少の揺れはあったにしても、大筋では前へ向かって進み続けている。今年も一歩一歩この声は拡大して行くに違いない。そうでなければわが国に未来はあり得ない。近い将来必ず実を結ぶ日が来るるだろう。ドイツのこの村の人々のように。
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by tomcorder | 2013-01-13 23:12 | 日記