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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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  「第五福竜丸から3.11後へ」 /被爆者大石又七の旅路
                             小沢節子    2011年10月刊
3.11の大災害より遡ること6日前、2011年3月5日よりこの書籍のための取材は始まった。場所は埼玉県東松山市「丸木美術館」取材対象となった人物は詩人アーサービナート氏、第五福龍丸に乗り1954年にビキニ環礁付近でアメリカの水爆実験のため被爆した、大石又七氏である。きしくもこの日は日米の芸術家の立場から、57年前の事件を捉え返す企画展が行われており、大石氏の講演会が企画されていたのである。本書はその時の大石氏の言葉と、今までの経歴や書籍から、氏の足跡をたどり、改めてその主張や、社会全体に投げかけてきたテーマについて再確認しようというものである。
 俗な言い方をすれば「大石又七」ガイドブックとも言える作品でもある。小品ではあるが、作者の大石氏への傾倒、信頼は並々以上のものがあり、その証明のために本書が形を見たといっても良いのかも知れない。しかし、大石氏の人となりや、被爆してから現在に至るまでの生き様は、既に出版された書物で知識を得たものなら、恐らくだれどもその圧倒的迫力と実行力に脱帽してしまうだろう。誰かが語った通り、「ビキニ事件」をしっかり分析し、被害者の辿った経過や、国家の選択した対応を検証すれば、核をめぐる大きな社会の流れが見えてくる。そして、それは福島で起きた原子力災害に対しても、共通した危険や問題点を内包していて、やはり「核の脅威」として民族の、世界の未来を脅かしている。大石又七氏が闘ってきた問題は、「被害者の救済」という具体目標と同時に、全ての「核」への危険を訴え、悲惨な事故への警鐘を続けていたのだ。多くの日本人はもっと早く気がつくべきであった。読者一人ひとりに呼びかけ、これからの生き方を考えさせる、・・そんな副題を備えた書でもある。 
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by tomcorder | 2013-02-28 19:49 | 日記
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  「矛盾」   元第五福竜丸乗組員 大石又七
                    2011年9月15日刊
 大石又七氏は元マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員。1954年、3月1日未明。マーシャル群島ビキニ環礁付近で操業中、アメリカ合衆国の行った、大気圏内核実験の死の灰を浴びて、寄港した以後何年も放射能と闘う運命を歩くことになった。その被爆体験後の足跡をたどり、作者を取り囲む政治家の対処の仕方、アメリカ政府の対応、自治体や関係諸機関の対応、医療機関や学者の辿ってきた関わり方、等々を...作者の目から具体的かつ率直な語り口で綴ったのが本書である。大石氏は既に何冊か自己体験を通して世に伝えるべき、「報告書」を出版しているが、本書は最新のものであり、特に3.11の原発事故以降、日本がかつてない試練に立ち向かっている現状を前にして、核に対して日本人がどう立ち向かうべきか、自らの経験を通して分かりやすく訴えている。第5福龍丸の乗組員も既にかなりの数の人々が旅立ち、残されている人の数も少なくなった。そんな中で、ある種の「使命感」から筆者は全身の力を込め願うような気持ちで本書を書き上げた。大石氏は既に癌の手術を受けた身である。しかもそのほかにも病を持っている。それでありながら、国から、「被爆者認定」を受けていない。驚くべき事実だが、ビキニ被爆を体験した漁師達は一人も「被爆者手長」を所有していないのだ。それは、被爆が政治的交渉の対象として扱われ、国と国との「取引」の材料として扱われてきたからだ。その結果日本は戦後早い時間のうちに核技術をアメリカから譲り受け、原発の始動にこぎつけたのだ。第五福竜丸の犠牲者はそのための「犠牲」になったとも言える。しかし、一人ひとりに一体どんな「罪」があるというのか。国と国とのエゴで間で被害を受けるのはいつも弱い立場の「庶民」だ。
 そんな絶望的環境のなかで、作者大石又七氏は正直に、勇気を持って、ことの真実を語り、世の中に真相を訴えかけようとした。本当に「真正直」な人である。こういう人を支え、その正当性をバックアップしてゆかなければ、福島の今後も姿が見えなくなる。最早日本は「核」とは曖昧な態度で付き合うことは許されなくなってきている。
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by tomcorder | 2013-02-27 21:47 | 日記
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  「原発洗脳」       苫米地英人
                                   2013年1月30日刊
ユニークな視点で、鋭く「洗脳」の諸現象を暴く筆者の独特の「辛口警告シリーズ」とも言える一作品。福島原発事故を一つのきっかけとして、様々な「原子力ムラ」批判の書が世に出回っている。勿論既刊の作品の中にも鋭い切り口で、日本の原発を取り巻く諸状況に対し、告発的警告を投げかけている書は少なからず存在している。しかし、本作品が際立っているのは、今まで指摘されてきた「原子力ムラ」の系列あるいはそれとは別の枠組みとして「アメリカ」の存在にスポットライトを当てたことだろう。今までにも問題視はされてはいたが、日本の原発の「闇」の部分として、アメリカの影響力と策略が無視できない構造になっている、と氏は主張しているのである。つまり、日本の「原発政策、利権構造」は単に日本国内の「原子力ムラ」と呼ばれる複合体内の力学だけではなく、アメリカの日本統治計画にもとづいて全体像が動いてきたというのである。具体的姿が見えないような形で巧みに、圧倒的なパワーで「ジャパンハンドラーズ」とも言われる勢力によって、強力に方向づけされてきたというのが、筆者のポイントをおいた主張である。
 福島原発事故発生当時、米軍の「友達作戦」などという言葉が先行したが、現実は決してお気楽な「お友達」ではないのだ。日本人として言いたくはないが、「ロボット扱い」「召使い」「小間使い」として扱われているのがよりリアリテイのある用語であり、正に「遠隔操作」の範疇であったのだ。戦後の様々な時点で、我が国の於かれた立場を客観的に分析してみれば、確かに否定仕切れないと言えよう。確かに「イラク戦争」の時もそうだった。もっと遡れば「ビキニ事件」の時もそうだった。ずっと日本は米国に翻弄されてきたのだ。「洗脳」という独自の戦略に操られて。筆者は「洗脳」の専門家である。オウム事件での氏の果たした役割はよく知られている。「核の平和利用」などという言葉も確かに「洗脳」のための言葉であった可能性が高い。
 
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by tomcorder | 2013-02-26 21:14 | 日記
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 「チェルノブイリと福島」   河田昌東(まさはる)
                           2011年12月刊
筆者河田昌東氏は分子生物学者であり環境科学者である。又NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事として1990年以来活動してきた。その経験を基に、福島原発事故の現状をチェルノブイリと比較・分析し、貴重な提言、提案をしている。すでに周知の事柄もあるが、いくつかの注目すべきコメントもある。例えば、チェルノブイリ事故で一番多い被曝疾患は、心臓病、脳血管病、糖尿病、先天異常、免疫力低下、であるという。ICRPもこの事実を認めたがらないという。勿論日本の関係諸機関からこのような報告を聞いたことが無い。福島事故の影響につき厳しい目を持って見守っていかなければならない。氏の言うとおり「政府はチェルノブイリから何も学んでいない」かも知れない。しかし、政府のみならず自分も含め多くの国民も多いに反省をすべきかも知れない。
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by tomcorder | 2013-02-24 21:12 | 日記
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  「放射能から家族を守る」   那須正夫 岡本晃典 石井伸昌
                   2011年8月刊
 切実なタイトルであるが、何か特別な方法を提起しているわけではない。本書は言わば「家庭の放射線学入門」といった位置づけの書である。原発事故の時には話題になる「放射能」ではあるが、それ以外の時の「日常的な振る舞い」については意外と知られていない。例えば医療用に使われているX線CTは何と日本が保有台数世界1だそうである。又温泉効果で知られる「ラドン」は何と「喫煙」に次いで肺がんの要因になり得るそうである。しかし、いわゆる「ラドン温泉」に入浴時の被曝は、日本の場合相当の温泉マニアが頻繁に温泉に浸かったとしても微々たるもので、「ラムサール条約」で有名なラムサールの街の温泉の濃度のほうがずっと高いそうで、まずは心配ないということだ。放射線は自然界にも存在し、生物は有史以来自然放射線の中で生きながらえてきたわけで、「ある程度」の放射線に対しては「修復能力」も獲得してきた一面もあるという。しかし、近代において人類が作り出した放射能の威力は恐ろしく「暴力的」なものであり、その影響力は甚大なものがある。特に人体への放射能の影響には確定的影響と確率的影響があり、確定的影響は直接的被爆量に対して決定的な被害がわかっており、一定量を被爆すればほぼ間違いなく死を免れない。それに対して確率的影響は内部被爆等でしきい値はなく少ない被爆でも「何らかの」影響が予測され、個人差もあると言われている。特に100msv以下の被爆については意見の分かれる所ではあるが、少ない被爆でもが被害を受けることもあると主張する学者もいる。世界的には、核実験の多かった時代に地球規模で線量が高かったがやがて下がってきた。しかし、1986年チェルノブイリ事故以来又濃度が上がり、今回の福島原発事故で再度地球規模で放射能は広まった。我々が出来ることは先ず「モニタリング」をきちんとやることだという。まず具体的な数字をしっかり把握することから次の手立てが生まれるということらしい
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by tomcorder | 2013-02-23 18:07 | 日記
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  「原子力ムラ」を超えて ーポスト福島のエネルギー政策ー
      飯田哲也 佐藤栄佐久 河野太郎 2011年7月刊
 それぞれ違った立場から、国や原子力ムラの攻撃に果敢に立ち向かってきた3氏が、分担して執筆し合本したのが本書である。特に佐藤、河野両氏は元、あるいは現在自民党国会議員という肩書きの持ち主ということからすれば、異色の組み合わせによる一作というキャッチフレーズも成り立つであろう。しかし政治的な背景は異なっても、こと原発に対する見方考え方に関しては、この3氏は共通し...て鋭い目と固い信念を持っている。つまり日本の原発政策を進めてきた、保守勢力と原子力複合体すなわち「原子力ムラ」に対して、はっきりとその「犯罪性」を見抜いていることだ。いくら所属政党の政策とはいえ、認められない方針に対しはっきり異論を唱え、真正面から反対する姿は、政治家の姿勢として極めて重要な資質であると考える。
 福島第一原発事故の前から、日本の原発政策には数々の矛盾、不正、陰謀、隠蔽、・・・と散々な言葉で語らざるを得ない様々な「前科」があったのだ。そして、事故後の現在もなお「迷路」の中を彷徨っているのだ。高速増殖炉もんじゅの行方、筋書きのはっきりしないプルトニウムの処理、使用済み燃料の保存場所、再処理をするのかしないのか、六ヶ所村の将来、・・等々解決不能ともいえる難題が際限なく続き、今現在事故の収束も見えず、いわんや事故の処理と損害保障にいったいどれくらいの費用がかかるのかも計測不能。こんな、危機的状況に一体誰がしたのか。
もう2年が経過しようとしている現在、原発事故はほとんど人災であったことは既に周知の事実となっている。にも関わらず責任の追及はまったくなされていない。分かっていることは「国民の負担」で穴埋めする。ということだけでは、到底理解は得られない。諸氏が訴えている通り、少なくても経営陣の責任。株主の責任。債権者の責任。可能な企業資産の売却。一時国有化にし、発送電の分離を実行。・・くらいはやってもらわなければ、とてもではないが、国税投入に支持はえられないであろう。再度政権に復帰した自民党政権がこのことを無視し、強引に原子力ムラの再出発に旗を振れば、最早日本のエネルギー政策に未来はなくなることになる。
哀れな国民にはなりたくないのだが・・・・・・・。
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by tomcorder | 2013-02-22 19:27 | 日記
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 死の灰を背負って 大石又七著
                                1991年7月刊 工藤敏樹編
この書が発刊された1991年現在、「あの日」からすでに37年が過ぎていた。
「あの日」とは昭和29年3月1日、所はマーシャル群島、「ビキニ環礁」付近のことである。つまり作者はマグロ船「第五福竜丸」に乗り最後の漁を始めようとした明け方、不幸にもアメリカの行った核実験の被害にあい被爆してしまったのである。この日以降作者は想定したこともなかった、特異な体験と経験を続けることになった。37年間にも及ぶ作者の「闘い」の足跡が作者自の言葉で語られたのが本作品であるが、ここに至るまでには語り尽くせぬ幾多の葛藤があったに違いない。作者も言っている通り、年少にして漁師の世界に入り、被爆して後クリーニング業に専念してきた人間がまさか自叙伝を発刊するなど、夢にも思わなかったかもしれない。しかし、作者の自己評価とは違って本書は、圧倒的な迫力で読むものを引きつけずにはおかない。ある種の「迫力」が一貫して作品としての本書に「緊張感」を与えている。作者が意図して書いたかどうかは分からないが、とても「素人」とは思えない説得力を全編を通じて感じとることが出来る。体験してきた人間だけが語り得る、飾り気の無い率直な言葉で綴られた文のみが描くことのできる、リアルな世界である。作者の言いたいことが、凝縮した表現形態となり、実にダイナミックな情景描写、心理描写の連続となって現れている。37年もまえに起こった事実が生々しく伝わってくるようである。
 この作品を通して分かるように、「第五福竜丸」の事件は、戦後の歴史の中で。理不尽な国の政策や、超えることの出来なかった時代の矛盾や、当時の日本社会の、物心両面の貧しさなどを赤裸々らに描き出した。そして、自らの体験を語ることに存在感を見出し、意欲的に反核・平和運動に取り組む作者の姿勢に、誰しも自らの姿勢を問われていると感じざるを得ない。
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by tomcorder | 2013-02-21 22:21 | 日記
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 「原発はやっぱり割りに合わない」  大島堅一著
                   2013年1月刊
 前著「原発の本当のコスト」に次ぐ第二弾。筆者は福島事故以前から、仮に事故が起こらなかったとしても、「原発は割りに合わない」電源だと考え,その研究成果を発表してきた。
 一口に「原発のコスト」といってもその背景は広範囲に亘る。電力会社を中心に、原発推進論者が上げる原発のメリットとして、「発電単価が安い」と言う説がよく語られる。しかし、氏の言う通り原発という発電方式は、単に「発電所で電気を発電している時だけの経費」だけでなく、それを支えるために、実に広大な範囲に亘って、様々な「経費」が掛かっているというのである。事故がおきなくてもである。具体的には、原発からでる核廃棄物や施設そのものの処理や廃棄に関わる費用すなわち「バックエンドコスト」や「社会的コスト」と言われる「研究・立地のための政策コスト」や事故対策コスト」などである。これらの社快的コストを加味すれば、事故が起きなくても決して原発が一番低コストとは言えない、というのが氏の持論である。確かに、燃料費のコストだけに着目すれば、あたかも原発がコストに優れているかの「錯覚」に陥るかも知れないが、少し考えれば、原発には「隠されたコスト」あるいは、「意識的に見えないようにしたコスト」がかかっていることはすぐ分かる。福島事故以前から、原発という発電システムはものすごい「えこひいき」で運営されていたのだ。開発費とか立地地域の補助金とか、極端に原発には有利な配慮がされていた。だから「安上がり」に見えたのである。あるいは「電力会社の立場」から見て「安上がり」だったのである。筆者の言うとおり、納税者たる「国民」の視線で比べてみれば、けっしてコストは安くなく、それどころか一度事故を巻き起こせば、想像を絶する過大な「コスト」が消費者一人ひとりにのしかかってくるのである。事故の収束、賠償がまだ到底解決できない現在、我々はいったいいくらの請求書を突きつけられるのか、推測すらできないでいる。東京電力という一民間企業がおこした事故に対し、結局は税金という国民負担で賄うというのであれば、市場経済の理念や、社会正義や公平な価値観という点からも多くの矛盾点が続出し、決して「うやむやな解決方法」で済まされるべきではない。あれだけの事故の責任、は一体誰が負うのか?まだぜんぜん出口が見つからない。まさか「誰も知らないうちに負担だけが残り、世代が変わって忘れ去られてしまう」なんてことは無いのだろうか。
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by tomcorder | 2013-02-17 15:41 | 日記
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「原発訴訟」 
    海渡雄一
                                 2011年11月18日刊
 筆者は1955生まれの弁護士。もんじゅ訴訟控訴審や、浜岡原発訴訟など30年間に渡り訴訟を手がけてきたが、その全体像について解説している。第1章で原発訴訟の枠組みを具体的に解説、第2章では全国の原発訴訟の焦点となっている地震と耐震設計をめぐる論点を掘り下げ、第3章では福島第一第二原発と東京電力に関する過去の事故と紛争経緯を振り返って、福島第一原発事故の原因と想定外であったかどうかの検証をし、東京電力の賠償責任について論じている。特に本書では、第4章において,被爆した労働者の「労災認定」と損害賠償の事例や問題点についても論じ、今後のあるべき姿に焦点をあて追求している。長年の弁護士としての活動の蓄積から構築した、作者ならではの着眼点と論理的考察により、日本の原発労働者の置かれた,不安定な立場を適格に捕え問題提起していると言える。
 過去の原発訴訟の足跡を振り返ると、決して原告側の勝利が続くことは無かった。いやむしろ、ほとんどの場合原告側の敗訴が圧倒的に多かったといえる。しかし、この結果は順当な結果とは言いがたい。司法の判断は決して事故防止や安全性確保の方向には原発の進路を向けなかった。その結果が福島第一原発事故という結果であり、戻ることことの出来ない道筋を作ってしまった「司法の取るべき責任とは何なのか」国民は見逃すべきではない。具体的な事故の責任論は勿論必要であり、「原子力むら」の存在は絶対に追求の対象から逃れることはできない。その中に「司法」そのものも決して枠外でないことを作者ならずとも叫ばざるを得ない。
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by tomcorder | 2013-02-10 18:08 | 日記
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  「ホットスポット」  <ネットワークで作る放射能汚染地図>
            NHK ETV特集取材班 2012年2月刊
当然のことながら一つの組織にはいろいろな構成員がいる。「NHK」という巨大組織にもいろいろな「顔」がある。こと「原発報道」に関し2011年3・11以降その報道のスタイルの偏向性に驚き、「客観性」という隠れ蓑の裏で、原子力村サイドに立った、画一的報道姿勢に疑いの目を向けた視聴者は多かったはずである。その後も一貫して「原発批判報道」を封印してきた姿勢は、心ある視聴者から鋭く追及されていた。「反原発の抗議行動」に対しても「NHK」の報道は抑制的でアリバイ作り的放送手法と言われても仕方の無い状態であったことは否めない。しかし、どんな会社にも「つわもの」はいる。本書に登場する取材スタッフは、それなりの「覚悟」をもった面々であるようだ。
 上層部の指揮をしたたかに潜り抜け、自らの主体性と信念に基づき、危険を感じつつも、挑戦的に取材を続けたのだ。日頃「全くNHKはしょうがない」と感じている人間でも、「NHKにもこういう取材陣がいる」ということを認めざるをえなかったし、改めて、内容のある番組もあると強く再確認した。これらの取材陣の個人名は、増田秀樹プロデューサーを筆頭に、七沢潔、大森淳郎、石原大使、梅原勇気、渡辺考、山口智也の各氏である。
本書を通し、彼らは実際に体を張って、現在進行形での福島原発被害の実態を伝えている。各氏の報道姿勢に心から敬意を表したい気持ちになる。現実的には「30km圏内報道管制」が敷かれていたのだ。それを知りつつ、あえて自分達の主張を貫こうとする各人の心意気に報道人としての魂を感じざるを得ない。当然のことながら組織上層部との葛藤場面もあるし、上層部からの「思想チェック」が行われていることもはっきりした。「京都大学k氏」が問題視されていることも歴然とした。
NHKは確かに大組織である。その報道の姿勢は大いに問題性をもっていることは否定できない。特に「誰を大事にする組織なのか」非常に疑わしい。しかし同じ組織の中にも「本気で」取り組む記者はいる。NHKの信頼は「視聴率」ではなくこういったスタッフが支えていると痛感した作品であった。
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by tomcorder | 2013-02-08 10:39 | 日記