ブログトップ

渡霧吐夢世界

tomcorder.exblog.jp

薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

<   2013年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

a0292328_1730498.jpg

「知ってなっとく地層処分・経産省資源エネルギー庁」<映像提供NHK、NUMO>

メデイアに露出度の高い芸能人や評論家登場する。「エネルギーを使うとゴミが出る」「国民は電気による恩恵を受けたのだから一人ひとりが廃棄物処理に対する責任がある」と頭から押さえつける。恐ろしい洗脳プログラムだ。
「原発は安全」という大前提で「国策」で進めてきた。原発による「放射能等の危険性」を国民に説明することなどなく、あらゆる権力、金力、人力を使い、有無を言わせない圧力でやってきたこと。いつのまにか「原子力ムラ」という膨大な権力構造が出来上がっていた。都合が悪くなってきて、「皆さんどうしましょう。皆さんの責任ですよ」と言っているのだ。悪質極まりない。はっきり言って「詐欺」だ。今も「詐欺」が世界に問題をばら撒き、危機的状況を作り出している。決定的な方策など誰にも分らない。「国民一人ひとりに責任がある」というのは「そちら側」の言うべき言葉ではない。言いにくいこと言うときにはよく「芸能人」が利用される。Mr.T、Hも「芸能人」の一人かな?
[PR]
by tomcorder | 2013-08-25 17:31 | 日記
a0292328_1040686.jpg

  「従軍慰安婦」   吉見義明著   1995年4月刊

 著者吉井義明氏は1946年山口県生まれの近現代史を専門分野にする歴史学者。中央大学商学部教授、日本戦争責任資料センター代表。たびたび話題に上がる日本軍「慰安婦」問題に対し、一貫して日本軍の「慰安婦」は戦場における一般的な意味での「娼婦」ではなく、軍が管理推進した「性奴隷制度」であり国家が関与した「犯罪」であると主張している。氏はその研究の中から、日本軍の性的奴隷として占領地や日本国内の女性が招集され、筆舌に超え耐え難い被害を被ったとして、国がその罪を認め、速やかに対象者の補償に当たるべきだとの見解を展開し、運動を続けている。筆者は自ら軍の関与を裏づける「証拠文書」を発掘したことで知られている。すなわち、1938年3月4日に陸軍省副官通牒として出された「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書の中で、陸軍省は選定した業者が日本内地で誘惑まがいの方法で慰安婦の募集を行っていることを知っていた。このまま続けば軍に対する国民の信頼が崩れるので、各派遣軍が徴収業務を統制し、業者の選定をもっとしっかりするように指示したという。又徴集の際、業者と地元の警察、憲兵との連携を密接にするように命じている。・・・この一例からもわかるように、戦時中に売春婦や慰安所が意図的に利用された例は日本以外の国でもあるかもしれないが、日本のように国軍が前面に出て管理し、統制した例はまれであり、極めて特殊でもあり、その犯罪性は免れない、というのが筆者の基本的な姿勢である。氏の調査が物語るように、日本軍は、その占領地で、多国籍、多民族にまたがる「慰安婦」を徴集していた。その中にはいわゆる「娼婦」以外にも、現地の一般女性も含まれていた。募集に応じた女性もいたのかもしれないが、不当な方法で半ば「暴力的に」慰安婦を強制された女性も多数存在していたらしい。それは、数十年の時間の経過のあと、勇気を持って立ち上がった元慰安婦達の証言からも明らかになりつつある。すべてが事実かどうかは断定できなくとも、各地で謝罪や補償を求める要求の声が上がり、事実を裏ずけるオランダ等の報告書や判決により、少しずつその実態が明らかになってきた。最近の国内の情勢では対立する意見が牽制しあっているが、国際的な論点から見れば、日本軍のやってきたことに対し「肯定的」あるいは「同情的」にみる見方は極めて少ないと思われる。国内にいると、自国の勢力図から判断しがちだが、「外から」日本を眺めてみればより客観的なものの見方ができるのではないだろうか。こと「慰安婦」問題に関する限り、外国人が日本軍の足跡を弁護する発言を聞いたことがない。広く世界の声を聴かないと又日本は過ちを犯すのではないか、という心配が高まりつつあるように感じているのは、決して少数ではないだろう。
[PR]
by tomcorder | 2013-08-21 10:41 | 日記

a0292328_10194032.jpg
  「教科書から消せない歴史」   <「慰安婦」削除は真実の隠蔽>
                                   久保井則夫    1997年7月刊
 筆者の久保井則夫氏は大阪府摂津市の中学の教員(1997年当時)。教鞭の傍ら、歴史教育・同和教育に関わる解説・実践の書を多数出版し、日教組教研集会においても実践報告を発表してきた。本書発刊のきっかけは、話題をまいた「新しい歴史教科書を作る会」の動きに対し、教育現場に身を置く人間の使命感と責任感から、時代をを取り巻く流れに「危機感」を感じ、自らの研究調査から得た資料を武器に真っ向から反論に挑んだ著である。その後16年経過した、2013年現在でも、「慰安婦」問題は国内でも国外でも大論議を呼び、橋下徹発言では外交問題まで広がってしまった。ひとたび発言が電波にのると、あっという間に海外まで話題が波及し、重大な日本の外交問題にもなり、日本への非難が集まりやすい話題でもある。それだけに、政治家は慎重な発言をするべきであるし、教育の世界に政治的ご都合主義を持ち込むのは言語同断である。この点の立ち位置に関しては作者の主張は全く当をえているし、こどもの将来を考え、世界の中の日本を考えるなら、絶対に冷静な歴史の事実を踏まえ、「慰安婦」問題に厳しい視線をあて、客観事実とは何かをしっかり見つめなければならない。「拉致・強制に軍は関与しなかった。業者が勝手に行ったことであり、国家的責任はない」と主張するのが国家主義的的政治勢力の言わんとするところだが、すでにいくつかの資料により、軍が関与した事実は示されており、政府としても日本が国として非人道的な過ちを犯したことを認めており、謝罪もしているのだ。この期に及んで、「他国も同じことをやっていた、日本だけが責められるべきではない」などと言うのは、正に歴史の事実をまともに受け止めようとしない、後ろ向きな発言と言わざるを得ない。朝鮮民族ばかりでなく、「慰安婦」にされた女性は多数の国に及ぶのだ。しかも、沖縄まで朝鮮の女性が「慰安婦」として連れまわされ、地獄の戦禍の中を逃げ惑っていたのだ。軍人が待機する塹壕からしめだされ多くの慰安婦が犠牲になったという。挙句に果てには、本土まで「慰安所」が解説されたという。一部に「慰安婦は娼婦」と主張する向きもあるが、いづれにしても「日本軍のゆくところ慰安婦が連れまわされた」ことに違いはなく、まさしく軍のために「慰安婦」にされた女性が「性奴隷」として人権を蹂躙されたのだ。このことを真摯に受け止め誠意ある対応を実行しなければ、日本はいつまでも信用されないのではないか。「いつまで謝り続けるのか」と批判的に受け止める向きもあるが、それは「いつになったら本気で補償に取り組むのか」という言葉に置き換えることができる。「日韓条約」は「慰安婦問題」を説明していないし、元慰安婦達はまっとうな謝罪も補償も受けていないのだ。日本人なら「痛い」所を疲れるのは辛い。しかし、辛いところに目をつむって事実を隠ぺいしてしまったら、将来の子孫にも負の遺産を残すことになるのではないか。
[PR]
by tomcorder | 2013-08-19 10:20 | 日記








a0292328_14132685.jpg

 「ウィキリークスの時代」     Greg Mitchell作・宮前ゆかり訳 2011年6月刊

 「世界中の一般市民が正確な情報をありのままに共有することができたなら、戦争は減るだろう」これはウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジの言葉である。本来市民は戦争の被害者であり、オープンな情報が保障されている社会においては、基本的に民意は「非戦」に向かうのが自然である。しかし、現実に過去の歴史や世界の多くの国で戦争の途絶えたことはなかった。これは各国の国民の民意というよりは、巨大な権力機構によって、情報が操作され、意図的に世論が形成され、一部の強権を持つ層の利害が優先された結果不幸な結末を招いたことが大半であった。現代も、なお続いている紛争、戦争は見方を変えれば「情報の戦争」とも言える。各国の庶民は「見えざる手」によって客観事実が脚色され、演出され、真相を隠蔽され、さまざまなプロパガンダが国論を左右している。メデイアは権力者に寄り添うように仕組まれ、自由な報道を提供しているかに見えても、どこかで誰かが望む世論に向かって収束して行くようなメカニズムを内包している。日本の原発事故報道などはその典型的な例であったことは、すでに庶民も認知する段階になってきた。このような時代において、IT技術の進展も手伝って、既成のメデイア、情報網の間を潜り抜け、政府や権力者の手を離れて情報が独り歩きするような時代がやってきた。「ウイキリークス」はその先駆けと言えるであろう。主催者ジュリアン・アサンジの提起したこの試みは、その評価がまだ定着しているとは言えないかもしれない。現実に巨大な既成勢力から総攻撃を受け、厳しい立ち位置を余儀なくされている現実もある。本来庶民に最新の情報を提供すべき使命を持っているはずの、報道関係諸機関も、対応の仕方を模索しているようで、裏で生き残りを架けたやりとりがされているようだ。
 具体的な行方は簡単には予想できないかもしれない。しかし、世界中が度胆をぬいた大スキャンダルの爆発は、短時間でとある政権の生命線を奪うほどの影響力を持っている。最早いかなる政権のコントロールも及ばないような形で、世界レベルの超ど級情報を提供する、「ウィキリークス」的存在はこれからの時代には無視できない、と誰もが感じ始めている。大国の権力者から露骨な攻撃や、殺害勧告まで出されている状況下であるが、今後の「ウイィリークス」の在り様が「地球のデザイン」を変えるかもしれない
[PR]
by tomcorder | 2013-08-16 14:13 | 日記

a0292328_1843470.jpg

  「慰安婦」と出会った女子大生たち  神戸女学院大学石川康弘ゼミナール
                                                         2006年2月刊
今年は「慰安婦」「従軍慰安婦」という言葉が日本中を飛び交った。きっかけは維新の会の橋下徹氏の問題発言からだった。要旨は、<「慰安婦」(外国の表現では性的奴隷)制度は戦時には多くの国で行われた事実があり、日本だけが非難されるべきものではない >というものだった。あたかも客観性をもった発言のような言い分に聞こえるが、本著の監修にあたった、石川教授に言わせれば、軍が認めて強制レイプを実行した国など特異な例で、多くの国では軍律でレイプは厳禁していたのが世界の通例だと言う。橋本氏の論理からは、戦時には「女性は犠牲になっても仕方ない」との価値観が透けて見える。いかに巧みに論じても、被害にあった立場の人々や大多数の女性の心に了解の答えを見つけることは不可能であろう。この本の出版のきっかけになった、神戸女学院大学石川ゼミナールの学生及び石川康弘教授は、ゼミのテーマに「慰安婦」問題を設定し、綿密な計画と地道な学習を積み重ねていった。その過程で一人ひとりの学生が、主体性をもって課題に取り組む体質へ変容していった。そして研鑽の結果を本物の体験として具現化するべく、韓国への研修視察の旅を実行し、元従軍慰安婦の施設「ナヌムの家」での元慰安婦との対面、共同体験を実践する至った。この企画を実践するにあたっては、両国のスタッフにとって決して低くないハードルがあったに違いない。しかし、そのハードルを乗り越え、「真正面」から取り組んだ学生たち、指導者及びスタッフの「勇気」に心から拍手を送りたい。被害者たる当事者と世代も違い人生経験も少ない学生達が、初対面で会話するなど、どれほどの「不安」や「重荷」を背負っていたことだろう。学生はもちろん指導者の心も大きく揺れ動いていたと想像される。決してきれいごとで済まされることもあり得ないし、どんな展望が開けるのかも分からない。しかし、このゼミの集団は確実に慰安婦問題に「一歩」を踏み出した。それはある意味「政治家」」の行動より意味のある一歩かもしれない。慰安婦問題は「政治上の問題」ではあるが、それは政治家に任せれば済む問題ではなく、一国民の視点から取り組まなければ、未来志向の方向へとは向かはない。この書籍に表された内容は2006年現在の内容であるが、今年不幸な方向へとこじらせてしまった両国の関係へ、一抹の光を投げかけてくれるような印象を受けた。日本人がこの問題を避けている限り、日本への理解は進展しない。この学生たちのように、謙虚な気持ちで過去の過ちを直視しなければ、被害を受けた人たちは浮かばれないし、日本が世界に受け入れられることもないのではないだろうか。
[PR]
by tomcorder | 2013-08-10 18:07 | 自然
a0292328_21422062.jpg

  「被爆者医療から見た原発事故」<被爆者2000人を診察した医師の警鐘>
                                             郷地秀夫   2011年9月刊

 著者は1947年東広島市生まれ、東神戸病院院長を経て、現在東神戸診療所所長。被爆者医療に長年かかわり、兵庫県下2000人の被爆者の診療にあたってきた。その豊富な経験をもつ作者をして、福島原発事故の被害に直面する少し前まで、「原子力の平和利用」を信じ、安全神話の洗脳に取りつかれていたと独白している。それは、国全体を巻き込んだ強大な権力構造に対する怒りでもあり、同時に「被曝」の専門家でありながら、「核の本質」に迫り切れなかった自身への「自己批判」でもある。しかし筆者以外にも多くの人々が、福島以降原発のもつ犯罪性と核に対する国の政策の矛盾に気が付き、自らの認識不足を懺悔すると同時に激しい怒りを込め、政権に対し主体的に関わろうとするようになったのではないだろうか。これまでの国や電力業界、財界、官僚、学界・・・といったいわゆる「原子力ムラ」は強大な権力、財力、人力を使い、巧みに国民を「洗脳」してきた。ぞれぞれの狡猾な「闇」を一つ一つつなぎ合わせれば、正に広大なトリックが浮かび上がる。正に「騙しのテクニック」であった。紛れもなく国民は「騙されてきた」のである。核兵器の犠牲国となった日本が、口では反核を訴えながら、いつの間にか原発という形を変えた「核兵器」の虜になっていたのである。爆発的破壊効果が小さいとはいえ、その排出する放射性物質の量は広島、長崎の比ではなく、むしろ原爆以上に被害の甚大さが心配される「狂気」の「凶器」が50基以上も存在する時代になってしまった。福島原発事故の収束もおぼつかない今、一体これから我々は原発を制御し無害化することができるのであろうか。答えは誰にも分らない。放射線の及ぼす人体への影響は未知数な部分もあるが、従来の見識では計り知れないほど重篤な被害の予想も提起され、徐々にその科学的裏付けもなされりようになってきている。はっきりした結論が出るまでには膨大な年月がかかり、それまでに一体どれだけの被害者が出るのかさえ予測が難しい。ただ言えることは従来のICRP等の予測は「最低限」の予測であり、別の予測ではその100倍、1000倍という理論もあるのだ。福島事故の被害が今後どれほどのものになるかは現段階では確定的ではないが、今後原発をどうするかを国民の決意で実行しない限り、日本に最早未来はあり得ないということは、常識のある人間にははっきり見えている。見えないのは欲に取りつかれた拝金主義者の傲慢さの所以と言わざるを得ない。
[PR]
by tomcorder | 2013-08-09 21:48 | 日記
a0292328_2057358.jpg



  「検証 尖閣問題」   孫崎享  2012年12月刊

 揺れる領土問題は今日もなおニュース番組の話題になっている。特に、昨年の「国有化騒動」に始まった中国国内での反日デモ、反日運動の反響と影響は多大なものがあり、領土問題に関わる外交の難しさを広く露呈することになってしまった。日本が抱える領土問題は北方領土、尖閣、竹島の3地域についてであり、それらは個別の問題であると同時に、共通する要素も秘めている。いつでもどこでもそうであるように、領土にかかわる問題はナショナリズムのもっとも突出する案件である。そして、ナショナリズムに流れを任せれば、行き着くところは「武力衝突」と相場はきまっている。多くの歴史がそうであったし、我が国も例外ではない。しかし、国民の貴重な生命をかけて闘った先に何があるのかと考えれば、多くの国が「できれば軍事衝突は避けたい」と考えるのが常識ある国家の判断ではないだろうか。「尖閣は紛れもなく日本の領土である」と唱えるのは簡単であるが、果たしてどれほどの歴史的事実を客観的に把握しているだろうか。氏の説によれば「意外なほど」に日本人は尖閣をめぐる過去の経緯を理解していないという。日本にとって「都合のよい」ことはよく情報が流されているが、「都合の悪いこと」はマスコミや教育界でも知らされていないことが多いという。自国の主張を声高に叫ぶだけでなく、「相手国の視点で」考えてみると、領土問題というのはそれほど簡単な論理では解決できないということがわかってくる。武力に訴えることは日本にとっても極めて危険な行為であり、そうならないように工夫して行くのが「理性ある外交」というものだ。そういう意味からも、氏は「棚上げ」は考えられる最上の選択だという。かつて日中間には知恵を出し合う関係があった。このような緊迫した関係になってしまった一つの原因には、政権担当者の「理解不足」と歴史に対する「認識不足」がなかったとは言えまい。過去に簡単に戻るわけにはゆかない。しかし、「武力衝突も辞さない」などと考えるのは、いかにも浅はかであるし、未来に対する冒涜でもある。今国民が冷静さを取り戻さないと日本はとんでもない道を進むようなことにならないか、と心配するのは作者一人ではない。
[PR]
by tomcorder | 2013-08-08 20:57 | 日記