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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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「南京大虐殺否定論13のウソ」  南京事件調査研究会 199年10月刊

1937年12月に日本軍は当時の中国の首都南京を占領した。そのとき起こした大虐殺事件は、海外では「南京アトロシティーズ」とか「ザ・レイプ・オブ・南京」などと呼ばれ、世界の歴史に刻まれている。日本では「南京大虐殺」と呼んでいる。「いやなことはなかったことにしたい」のは人間の共通心理かも知れないが、この事件を「なかったこと」として処理したい政治家が次から次と問題になる発言を繰り返している。1994年5月に永野茂門法相が「南京虐殺はデッチ上げ」と発言し、辞任に追い込まれたことがあったし、石原慎太郎元東京都知事も「南京虐殺は中国の作り話」と語って大問題を起こしたことがある。こういう意見に対し日本政府の公式見解は1951年のサンフランシスコ平和条約の第11条で、「南京虐殺を認めた東京裁判の判決を受諾する」と約束している。1998年の公式見解でも、種々の議論はあるものの、虐殺行為があったことは否定できない事実であると認めている。さらに1999年4月19日の野中広務官房長官の記者会見でも、「南京入城後、日本軍が非戦闘員である中国の人たちを殺害、略奪があったことは否定できない事実と考えている」と公式発言している。このような事実があるにも関わらず、「否定論者」は何回でも否定論を繰り返し、世論を誘導しようとしている。論理の問題というよりは、「マスコミの勢い」を借りてメデイアの世界で既成事実を作ろうとキャンペーンを広げようとしているように映る。「論争」というよりは政治的「戦略」に近い現象といった方がいいかも知れない。
 本書の執筆者は「南京事件調査研究会」という形式的名称で記述されているが、実際に原稿を投稿したのは、井上久士駿台大教授、小野賢二氏、笠原十九司都留文大教授、栗原彰一橋大名誉教授、本田勝一氏、吉田裕一橋大教授、渡辺春己弁護士、の7名の面々である。何れも南京事件について詳しい資料と博識の持ち主で、否定論者の言い分に対し、適格かつ痛烈な論旨で指摘しており、最強の論客が集まっている感がある。
戦後70年近くが経過し、戦争を未体験の世代が多数を占める時代になった。自分自身を含め、経験していない時代の事件について強い否定論が展開されると、ついつい「そうだったのかな」と自信のない反応を取りやすい傾向がある。しかし、それこそ「否定論者」の思うツボであり、「体験がないからキャンペーンは有効」などと言う風潮が高まってはいけない。「知らない世代こそ、真剣に学習し、調べるべきなのだ」幸い今は広く資料が手に入る時代だ。国内の偏狭な復古主義者の弁に動かされる前に、国際的レベルの論調や海外からの資料を目にすることも可能だ。そういう観点から考えてみれば、いわゆる「否定論者」の説がいかに強引であり、少しの「盲点」から大きく全体像を否定することなどできない、ということが冷静に判断できるのである。
現政権になり、極めて復古的な政治路線が、先を急いでる風潮の政治状況の中で、じっくりと歴史認識を持つことは、現代を生きる我々にとっても極めて重要な案件と思える。
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by tomcorder | 2014-05-30 18:55 | 日記

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 「それでも日本人は原発を選んだ」<東海村と原子力ムラの半世紀>
                    朝日新聞取材班   2014年2月刊
国民のうちどれくらいの人が知っているだろうか。「2011年3月11日。冷却が簡単には出来ず、止むを得ずベントを繰り返していたのは、福島第一原発だけではなかった。」 正に衝撃の事実だが、これは紛れもない事実なのだ。東海村第2原発。何と170回ものベントを繰り返し、3月15日になりやっと「冷温停止」にこぎつけることができた。もし、冷却に失敗していたとしたら、と想像するだけで気を失いそうになるような話だが、いったいこのようなニュースがテレビ等で流されただろうか。それだけではない。月日も同じ3.11。1997年3月11日。すなわち年前の3.11に、同じく東海第2原発で火災爆発事故が起きていた。いったいどれだけの国民が認識していただろうか。つまり3.11は「2度目
」だったのだ。おそらく多くの国民が知らない事実。それども原発を続けるのか?
現に、安倍政権は審査を通過した原発は再稼働させると「公言」したばかりだ。一体どんな価値観に基づいて原発稼働を推進しようとしているのだろう。
 この著は、日本の原子力発電の発祥の地であり、今も原子力関連施設が隣接していて、我が国の核関連施設の「特別の地区」としてその存在を際立てている、茨城県東海村の歴史的経過と本国の原子力事情の足跡を、地域に焦点を当てつつ具体的に綴ったものである。戦後の政治の一断面とも言えるし、関東平野の貧しい自治体が、国家の戦略の狭間で翻弄され続けた歴史でもある。
 そもそも、なぜ東海村が原子力という国家の未来を左右する重大な使命を背負う地域に選定されたのか、そのスタートラインからして極めて「不透明」であり、「政治的作略」や有力議員や財界、政界、学界の複雑な利害、理念が絡んでの、「計算ずく」の結果であった。つまり、当時も今も共通するような「打算の結果」として、原発は立地し、極めて「意図的」に「核の平和利用」のキャンペーに載せられ、あらゆる手段を使って、すさまじいい「物量」を伴った攻撃として進められたのだ。その意味合いにおいて、決して「クリーンなエネルギー」などとは名実ともに言い難い代物ではあった。
皮肉にも、第五福竜丸のビキニ被爆から、放射能の被曝被害が国を挙げての問題となり、人類初の核の悲劇を体験した我が国に、国民的な問題意識を持って、「反核運動」が展開しようとしているときだった。国民運動としての盛り上がりを見せ、核保有国、特に米国に対する批判と反感が高まる中、極めて政治的に「核の平和利用」などという言葉が一一人歩きを始めてしまった。勿論、アイゼンハワーの口から出た、超政治的戦術用語であったわけであるが、日本の政界の大物の戦略にも合致し、保守政党の思惑にまんまと乗せられてしまった。というのが客観的な経過であったようだ。良心的とも言える学者たちの危惧の念もあったようだが、力関係として政治家の戦略を超えることはできなかった。一般国民は科学的知識のなさから、ことの真相を客観的に捉えることが出来ず、血生臭い「政争」に効果的な運動を展開することが出来ず、ずるずると原発建設、稼働を見逃してしまったのだ。
 もし、今のような客観知識や、原子力の真の姿が広く国民に理解されていたら、又違った展開が存在したかもしれない。しかし、原発事故を起こしてしまった現在、「もし」を言っている余裕はない。東海村の歴史を見つめ、今後あるべき日本のエネルギー政策を国民の理解の上に進めて行かなければ、「福島の将来」も見えてこないはずである。地震の警告も叫ばれている日本列島で、本当に原発再稼働が可能なのか慎重に考えれば、安易に見切り発車することなど到底考えられないではないか。
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by tomcorder | 2014-05-19 17:29 | 日記
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「そして日本の富は略奪される」<アメリカがしかけた新自由主義の正体>
                  菊地英博    2014年1月刊

「新自由主義」という言葉が広く世に飛び交うようになって久しい。グローバリズムとか市場原理主義とかいう概念がアメリカから注入され、日本もいつの間にか、アメリカの敷いたレールの上を進むようになってきた。言葉の響きとは裏腹に、その実態は極めて危険性を秘めており、日本は大きな犠牲を払ってきた。この価値観の根底には、1%の富裕層の富が大事にされ、その他99%の層は搾取され収奪され、貧困の道を進むことになる。小泉政権のころから、米国の出してきた「年次改革要望書」を具現化するような形で、「アメリカにとって好ましい、国の形」へと日本は変身してきた。ヨーロッパはこのアメリカ型の資本主義に早くから異を唱え、ヨーロッパ型の共存共栄型の資本主義を目指してきた。戦後の日本もどちらかというと「共存・共栄型社会」を目指してきたし、かなり実現された面も多かった。だから「1億総中流」などという言葉も定着したのである。
 しかし、アメリカ型の資本主義が行き詰まり、大資本中心の、ミルトンフリードマンの提唱した、「新自由主義」的な経済システムが米英を中心に進められ、日本もその流れの中に組み込まれることを、仕向けられてしまった。
郵政民営化等を通し日本の富が、アメリカの大資本に吸収され、今後もその恐れはある。TPP交渉やISD条項等、日本の富を飲み込む手段は次々と控えている。戦後の日米の力関係の上に、不利益な要求をのみ続けてきた日本はこのままでは、国の蓄えを吸い取られ続けるかもしれない。「新自由主義」とは情け容赦なく強者が弱者を搾り取るためのシステムであると筆者は断言している。
「どうすれば新自由主義の侵略を阻止できるか?」作者なりの具体策をいくつか提案しているが、現状ではだいぶ悲観的と言わざるを得ない。
政治の貧困が続く限り、日本の運命は明るくならない。
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by tomcorder | 2014-05-13 23:09 | 日記
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  「池上彰が読む小泉元首相の<原発0宣言>」                      池上彰  2014年1月刊

 テレビでお馴染み池上彰氏が放つ、小泉純一郎「原発0宣言」エトセトラ。「山田孝男氏」編の初刊に続く第2弾。勿論本著の主役は小泉元首相の脱原発論ではあるが、その主張を広め拡大するコメンテイターとして、4人の代表者のインタビュー記録、対談集も重ねて掲載している。其の4人とは毎日新聞政治部門専門編集委員の山田孝男氏、79代総理大臣細川護煕氏、城南信用金庫理事長吉原毅氏、元三菱銀行取締役NY支店長末吉竹次郎氏の面々である。
 多彩な4人である。どちらかというと、「脱原発」のイメージリーダーにはなりにくそうな人びとかもしれない。しかし皆「自分の持ち場」で「自分の言葉」で「脱原発」を語っている。小泉氏も、細川氏も決して「既成の政党レベル」での運動には距離を置いている。議員の立場を離れていることもあるが、「一市民の対場」で個人の視点から発信、行動することに力点を置いている。国民目線での主張が広まれば、政党、国も動かせる、というのが両氏の主張である。極めて正論と聞こえる。山田氏は脱原発小泉発言を世に広めた最初の報道関係者ということになる。吉原、末吉両氏は「金融業界」からの原発0を語る先駆者とも言えるであろうか。いずれにしても、これまで原発推進あるいは、脱原発に主体的ではなかった立場の人々が、3.11を契機として、「物申す」ようになったのである。特に小泉氏の「宣言」は政権中枢時代とは180度方向性を転換するものであり、過去の自分の姿勢を悔いての発言でもある。総理大臣経験者でさえ、「自分は間違っていた」と感じさせるほどのことが起こったのだ。これは明らかに「日本を変える動き」になる。これらの人々の言動が、広く庶民の日常を動かし、大きな国民運動に成長する可能性も十分秘めている。
 脱、反原発運動は新しい時代に入りつつあると思われる。今までの運動を継続するだけではなく、あらゆる立場の人間を巻き込み、新たな価値観から、本当の意味で「大衆行動」としての運動が始まりつつあるとは言えないだろうか。
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by tomcorder | 2014-05-05 21:24 | 日記
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<小泉純一郎の>「原発ゼロ」 毎日新聞専門編集委員 山田孝男    2013年12月刊
 著者山田孝男氏は1952年生まれの毎日新聞専門編集委員。2007年10月より現職にあり、人気政治コラム「風知草」を連載している。自身が語っているように、小泉純一郎氏と同じように3.11以降の「にわか脱原発派」としての立ち位置から、「小泉劇場」の解説と作者の脱原発への基本的なスタンスを、裏話を秘めながら、小泉純一郎版「脱原発論」にスポットライトをあて、わかりやすく、原発0への行程をアナウンスしている。
東京都知事選に先立ち、小泉純一郎氏は自民党の中では数少ない「脱原発論者」として話題をまき、世間の関心を集めた。自分が政権の中枢に位置していた時には間違いなく「原発推進側」に位置し、その「ど真中」から原発を邁進する政策を継続した。その張本人が、3.11を契機として、180度方向を転換したのであるから、その「変身」ぶりには、数々の批判や懐疑の念が付きまとうのも、無理はないだろう。そういう私自身も、小泉氏の発言を聞いた時、素直に、すばやく「同意」する気にはなれなかった。では、「小泉発言は間違っている」のだろうか。
 支持、不支持は一時置いておくにしても、小泉語録を紐解くと・・・「(原発は)クリーンだ、コストが安い?とんでもねー。電事連の資料ありゃ何だよ。あんなもの信じる人ほとんどいないよ。」2013.8.13「ヨーロッパはドイツが、アジアは日本が引っ張る。原発0でも経済成長できることを見せればよい。」10.8何と読売が「批判」した。又10.29には「郵政民営化などの比ではない。壮大な夢のある事業」「総理が必要といったから、声が上がらない。総理が0と言えば良い。一人でもやるという心構えが大事」・・・・と続けると、言っていることは「極めてまとも」だ。そして何よりその姿勢が「前向き」だ「総理が決断すりゃできる」と言って暗に「安倍は肝っ玉が小さい」と批判しているのだ。確かに、安倍首相が「脱原発に踏み込む」と宣言すれば「支持率」は今以上に「急上昇」することは予測できる。小泉の言うように、「安定政権」を目指すなら、これ以上位の選択はないのだ。確かに「財界」の「許可」が出るかは疑問だが、「政権強化」に拘るのならこれ以上の「政策」はないのだ。ドイツのメルケル氏の判断を真似るわけでもないが、自民党が小泉氏の意見に耳を傾ければ、「再生エネルギーの効率化」に向かい、我が国は「新しいステージ」に足を踏み入れることも可能なのだ。
もんじゅ、そして最終処分場の問題、と致命的な病理に蝕まれる運命にある、原発依存社会に決別を決意しない限り、未来への展望は開けない。確かに小泉発言はぶれていない。過去の政治的清算は別件として置くにしても、こと原発に関しては正論を続けていると見るのは間違いだろうか。目指す方向が拡散しない限り、耳を貸しても良いのではないか?
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by tomcorder | 2014-05-01 23:24 | 日記