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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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 「誰も知らなかった小さな町の原子力戦争」  田島裕起(やすおき)
                            2008年3月刊
本書のタイトルを見たとき、「反原発を貫いた自治体のドキュメントか」とかってに決めつけてしまった。数ページ進んだとき、はっきりと自分の「早とちり」に気が付いた。
本著は福島第一原発事故の発生する約3年前に刊行された。今から数えればおよそ6年半前になる。今もしこの本の著者にインタビューしたとしたら、どんな言葉が返ってくるだろうか?おそらく本著で何度も力説しているような内容は、とてもではないが2度と言葉にできないんではないだろうか。それくらい福島第一原発事故の衝撃は計り知れないものがあった。
本書の著者田島裕起氏はかつて、高知県東洋町の町長であった。その前は26年間東洋町の議会の共産党所属の議員を務めていた。町長選に立候補を決めたとき党を離れ、「無所属」で町長選に挑むことにしたと本人は説明している。共産党の議員であったことも関連して、かつては「反核」の運動もしていたという。それが町長に当選してからは、「核兵器は反対、しかし原発等の平和利用は推進」という立場に変わったという。そして3期目の2007年の初頭、町の財政と未来への展望を期すという理由により、「高レベル放射性廃棄物の最終処分施設の設置可能性を調査する区域」への応募を「町長の個人判断」で決めたのだ。もちろん「調査段階でも」町へは莫大な交付金が支給される。しかも後から「やめてもいい」「交付金は返さなくてもいい」という都合のいい言い訳で、町を導こうとしたのだ。当然のことながら、議会をはじめ町全体を揺るがす大議論が始まった。
「放射性廃棄物」という極めて毒性の強い代物に対し、いくら「町おこし」になるとはいえ、とてつもない危険性を巻き込む可能性もある施設の建設を「独断で」進めようとしていると訴え、町長に対し大「反対運動」が巻き起こった。著者はその運動に対し「過激な反核派」との文言で、極めて感情的排他的な決めつけ方をしているが、現在の世論から考えれば、反対派の理論の方がはるかに理に適っており、冷静な判断だったと言わざるを得ない。著者は切々と、東洋町のビジョンを熱く語り、将来を託す幼き町民への愛情を表現しており、その言葉にはそれなりの熱意が感じられるかも知れない。しかし、筋道だって冷静に考えれば、多くの危険性と立場立場の「欲」で固められており、とても将来延々と続く命に対し決して誠意ある対応とは言えないだろう。言葉は荒いことを承知していえば、結局は「金が欲しい」だけの話なのだ。昨今、I環境相の失言が大分話題になったが、正にその類の価値観がくりかえし述べられていて、「よだれたらたら」の話と聞こえる。
 原発誘致問題で何度も指摘されたように、「札束で人を動かす」国のエネルギー政策の貪欲さがここにも明白に表れている。福島事故の経験から国民の多くは、「金で買えないことの大切さ」を学んだはずである。現に3.11以前に、原発誘致に反対し、力強く、我慢強く、原発建設を阻んできた地域、自治体も全国には少なくないのだ。
筆者が教科書の記載に絡めて、次のように言っている。「マスメディアに流されてはいけない。世論操作が行われることがある。・・・・国民はメデイアの情報を鵜呑みにするのでなく・・・きちんと判断することが大切である。」とこともあろうに、扶桑社の「中学社旗新改訂公民教科書」の表現を借りて力説している。
 失礼かもしれないがこれには私も「笑ってしまった」言っていることはごもっとも、その通り。しかし、そのことを最も必要としているのは筆者自身ではないか。政府、及び「原子力ムラ」に取り込まれ。自分自身が「洗脳されてしまった」ことに気が付かない人物が、自治体の長にあるとしたら。これは喜劇というよりは悲劇だ。今後とも悲劇の起こることのないことを心より祈りたい。
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by tomcorder | 2014-08-02 16:20 | 日記
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「カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか」 吉田健正著  2005年7月刊

 元カナダ首相クレテイエン氏は言った。「世界の貧しい国々と民衆が彼らに対する強大国の扱いに対し大きな憤慨を抱いている。他者に屈辱感を与えるほど権力を振るってはいけない。・・・・西欧世界は傲慢で自己満足しており、貪欲でしかも限度を知らない。」あるいは「サダムフセインがすばらしい民主主義者だとは思わない。別の指導者がいたらいいと思う。しかし、それは世界の他の多くの指導者についても言えることだろう。(大量破壊兵器を所有している国が多数あり、そのすべての国を攻撃することはできない。)」
正に当を得た発言と言わざるを得ない。国連での決議を取れずにブッシュ率いるアメリカは単独でイラク攻撃を決行した。欧米を中心とした同盟国に呼びかけ、連動して対イラク戦争に加担するように執拗に圧力をかけた。当然わが日本国にも踏絵を踏ませるように厳しい圧力が加わった。そして時の政権担当者小泉純一郎総理は、「ブッシュが大量破壊兵器は必ずある言っているんだからあるのだろう」「非戦闘地域がどこかなんて私にわかるわけない」などと言って、もろ手を上げてアメリカ支持を宣言し、非戦闘部門に限定し自衛隊の海外派遣を決行した。これは「日米は特別な関係にあり、信頼関係を保つためにも必要な選択だった。」というのが日本政府の大義名分である。しかし、米国と「特別な関係」にある国は日本以外にもある。英国、カナダ、オーストラリア、韓国、メキシコ・・・・等があげられるが、これらの国はあの時、全ての国がアメリカに同調したのだったろうか?・・・
答えは「No」だ。米国と国境を接している、切実に「特別な関係」にあるカナダとメキシコはアメリカの要請を拒絶し、イラク戦争不参加の立場を貫いたのだ。
 カナダもメキシコも軍事的には決して大国とは言えないだろう。カナダの軍事費は日本と比較してもずっと少ない。つまり同盟国たる米国に安全保障の依存度が高いといえる。それなのに、米国の失望を覚悟の上で、参戦拒否を時の政権は選択したのだ。それには、確固たる国の基本方針である、国連中心・国際協調主義が国是として存在しており、いくら隣の超大国の要望といえども、毅然たる態度で主張を通したのだ。国連のアナン事務総長は2004年9月16日、BBCのインタビューに答えて言った。「イラク戦争は国連憲章上違憲だった。」
 当時、国土の面積がロシアに次いで世界2位のカナダは、GDPは米国の10分の1、軍事は40分の1だった。そのカナダがとった立場とは、
①国連の支持を得ていない
②大量破壊兵器存在の証拠がない
③国際法上「先制攻撃」に正当性がない
が主な主張だった。今にして思えば極めて理にかなった判断と言える。
勿論、米国の失望を招いたことは否めないが、米国からの「報復」は特に大きなものはなかった。それどころか、ロジャー・F・ノリエガ米国務省次官の言葉を借りれば「緊密で、永続的な関係。時には意見を異にするが、・・・全体的な関係は建設的で協力的で緊密だ」と述べられている。「米・加は相互に依存しあったいる。制裁などありえない。」ということの弁明であろうか。
カナダの「国際協調主義」は国連安保理を強力に支持しており、日本政府が最近やっきとなって変えようとしている、「集団的自衛権」(2国間主義)とは似て非なるものである。
作者は、強く主張する。「米国政府の判断よりカナダ政府の判断の方が正当性があったことは明白だろう。」「米国は富と自由の憧れの的からまるで<鬼の形相をした恐れられる国>と変貌した。」正に「鬼の形相をして」オスプレイが日本各地に往来している現実だ。
それにしても我が国の、余りにも価値観の違う政権の姿勢はどうだろう。世界の中でも「突出した対米追従主義」の国と映っているにちがいない。クレティエン首相の言う「独立した主権国家として、我々は時に意見が合わなくてもよき友人でいられる」という言葉が安倍首相の耳にはどう聞こえているのだろうか?
 
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by tomcorder | 2014-08-01 16:58 | 日記