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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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 「集団的自衛権容認を批判する」   
                 渡辺治 山形英朗 浦田一郎 君島東彦 小沢隆一                                                                                                                                                                    日本評論社  2014年7月刊
2014年7月1日、戦後60年以上守り続けてきた「憲法9条」の定義に、根本的な変更を意図する、驚きべき閣議決定が行われた。すなわち戦後の日本の政権担当者たちが一度も手をつけなかった集団的自衛権の容認を、初めて明言し、「憲法そのものを変えずに」「憲法の解釈を変える」と言った極めて姑息で策略的な手法によって、9条そのものの在り様を変えようとする、大胆かつ民意を無視した暴挙に足を踏み込んだのだ。
本著は安倍政権の歴史に逆らう不遜な挑戦に対し、危惧と憤りの念を持つ学者たちが、それぞれ別々の角度から、集団的自衛権容認の意味するところを分析し、その問題点を指摘追及しようとしたものである。
全体が5章から構成されており、それぞれ著者5人が順に担当分野別に執筆している。その5章とは、
 1章 「安倍政権の改憲・軍事大国化構想の中の集団的自衛権行使容認論の位置」 渡辺
 2章 「国際法から見た集団的自衛権行使容認論の問題点」  山形
 3章 「集団的自衛権はどのように議論されてきたか」   浦田
 4章 「東アジア平和秩序への道筋」 君島
 5章 「集団的自衛権行使容認をめぐる最近の動向について」 小沢
の各項目による構成となっている。
全体としては7月1日の閣議決定前の状況に基づいて論評されているが、最後の小沢氏の論文の中で、閣議決定の問題点やその後の課題当が述べられている。
本書はそれぞれの分野の専門家が、鮮明に解説し、客観的に集団的自衛権の持つ特徴を様々な角度から分析している。素人にはやや難解なところもあるかも知れないが、全体としては分かりやすい説明表記になっており、「日本の現政権が向かうところ」そして日米関係の今後の方向性がより明確に示されている。
その具体例を挙げてみよう。
 まず第一章においては、①安倍政権の性格②軍事大国化・集団的自衛権に固執する訳③軍事大国化構想の全体像・・・が順をおって述べらている。安倍政権の性格とは日米軍事同盟強化を目指すことと、新自由主義改革の推進、を自らの課題としているということである。集団的自衛権は米国も歓迎するとのコメントがある通り、日米軍事同盟強化のプロセスとしての性格が大きいが、他方で「軍事大国化」を構想する安倍の「個人的野望」も見え隠れする。2つの矛盾する顔を持つのが安倍政権の特徴と渡辺氏は説く。
集団的自衛権容認の歴史的側面をたどれば、日米関係のうねりがリンクしていることがまず挙げられる。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、・・・等々アメリカの起こした戦争が、ことごとく我が国の安全保障の骨格に影響を与えてきたし、これからも与え続ける可能性がある。その流れからも今回の閣議決定はなされたと見るべきであろうが、それに安倍個人の歴史修正主義的価値観が加わっていることも無視できない。「軍事大国化」への日米の見方は必ずしも一致していない。「軍事同盟強化」は安倍の望み=米国の望みではない。米国は日本がアジアの軍事大国になることは望んでいない。あくまで「米国にとって」都合よく働く同盟国の在り方が求められているのであって、安倍は勘違いをしているのかも知れない。日本の支配的な層からも危惧されているとの説もある。
第2章においては、国際法における集団的自衛権の解釈を時系列的に述べている。はっきり言って、我が国で解釈されているような集団的自衛権の捉え方が「全世界的」とは言えないようだ。「言語の違い」も関係して、フランス語文化県では集団的「自衛権」というより「他衛権」として理解されているようだ。つまり「他国を巻き込んだ正当防衛」として論じられるというのだ。2度の世界大戦を経て、今言う集団的自衛権の概念が確立してきた。しかし、ニカラグア事件以降新しい条件も加味されているが、我が国の政府の言う「3条件」は世界最新の見解とはリンクしていないようだ。もともと集団的安全保障と集団的自衛権は相いれないものであり、現在我が国政府の言うような集団的自衛権は「米国にとって都合のよい」捉え方であり、日本が世界の中で「米国の手下」としての役割を果たす国家になったと宣言するようなものであるかもしれない。
第3章ではこれまでの経過をのべている。1981年の政府答弁に、「国際法上集団的自衛権を有していることは当然であるが憲法9条下において、許されないと考えている」と述べられたのは周知のことであるが、最近の安倍政権はこの答弁から前の記述、1972年より前の日本の姿に戻そうとする動きである。
過去の政府解釈で議論されたことで問題点としては①実力・武力論と②地理的限定論があげられるが、現行解釈で地理的限定なしに認められるはずがない。筆者は議論の経過を①自衛隊が作られた頃②安保条約改定の頃③現行解釈が固まった頃の三期に分類している。①においては1954年「海外派兵禁止決議」が参院において可決されている。②においては、アメリカの日本防衛義務が確認されたが、代わりに米軍への基地提供が固定化した。在日米軍への攻撃があった場合日本も武力行使することになっている。個別的自衛権の併発型との捉え方もある。③の時期においては、ベトナム戦争等への市民運動や世論が高まり、地理的限定なしの集団的自衛権には否定的な政府見解を維持した。これは、市民の声が集団的自衛権の展開を抑えてきたといえる。
さらに筆者は「砂川事件」のことを強調して述べている。すなわち、「米駐留軍は違憲か」で争われた裁判ではあったが、当時日本の義務は「基地提供」のみであり、「集団的自衛権行使」はアメリカにとってのものであり、日本にとっては集団的自衛権は想定されなかった。この件につき安倍晋三は「集団的自衛権を否定していないことははっきりしている」と発言しているが、これは正に「スタップ細胞発言」に類似した論法と言わざるを得ない。
第4章東「アジア平和秩序への道筋」では<ミリタリズムを批判・抑制する力>との観点から、米国、日本、中国を中心とした、防衛政策の現状を論じている。中国の大国化の流れで米国は「新型大国関係」の構築を表看板に掲げるようになった。これに対し安倍政権は「日米関係のリバランス」を唱えているが、日米軍事同盟強化の掛け声の裏で、自衛隊が中国封じ込めの別働隊として利用される危うさを内在している。アメリカの「本音」を見抜かなければ日本は文字通り「司令官の理想的な部下」になってしまうのではないか。
 米国における「ミリタリズムを批判・抑制する力」はパリ不戦条約の頃から流れが発生しており、2013年のオバマ・安倍の最初の会談の会場前でも、「日本国憲法9条を守る」抗議行動を行ったとの報告もある。米国の平和運動と日本の憲法9条とが意外な繋がりを有していることは注目に値する。
中国の場合はどうだろうか。驚きべきは平和=軍拡の声さえ在り得る中国の現状だが、南京大学教授を中心として、中国の超大国化に警鐘を鳴らす運動も広がりつつある。東北アジアにおけるNGOを中心とする動きも始まっている。国境を超えるミリタリズム抑制のための市民運動のつながりが、徐々に東北アジアに浸透しつつある。沖縄の位置づけは難しいが重要なインパクトをもっている。沖縄の人びとの多くは沖縄が日中の懸け橋になることを望んでいるという。
第5章では、最近の政府の動向からその問題性を指摘し今後の在り方を提言している。政権側の集団的自衛権の容認の動きを進めてきたメインエンジンとしての安保法制懇と政府の基本的方向性との経過をたどり、その全貌と特質を解明している。第一次安倍政権の時発足した安保法制懇ではあるが、着々と政権の意図のもと論議を進めてきたが、最新報告の直後に政府によって、思いもよらぬ「つまみ食い」をされてしまったという。つまり、「全面的集団的自衛権容認」に向けて進んできた法制懇が、お膳立てをしたや先に、安倍晋三が「政治的判断で」「限定的集団自衛権」という彼流の造語を発してしまったというのだ。これには法制懇のメンバーも驚いたかも知れない。しかし、「限定的」という造語も正に「安倍晋三流」であり、いつものことで「言葉あって実態なし」なのだ。ということは「限定的」とは単なる意味のない「修飾語」であり、その内容を検討してゆくと限りなく「全面的集団的自衛権容認」と同義なのだ。
そもそも法制懇の描く集団的自衛権論には「憲法の根本原則」から大きく外れているのだ。「立憲主義」という言葉一つとっても時代錯誤の一方的な解釈をしている。「王権が絶対権力を持っていたころの主流の考え」と言ったのはだれだったろうか。正に「王権」を目指しているといっても過言ではなかろう。さらに、平和的生存権と生命・幸福追求権軍事力正当化の根拠にするなど言語同断であり、国民主権から軍事力の正当性を弁償しようなどとは、転倒した論理であり、安全保障の側面のみいたずらに強調された、歪んだ論理構成と言わざるを得ない。
今年7月1日の閣議決定は、60年以上守ってきた憲法の歴史を一内閣の判断で、180度逆向きに覆すもので言語同断である。「集団的自衛権は憲法が許さない」とされてきた今までの歴代政権の積み重ねが「一内閣」の独断で一挙に覆されたのである。この「歴史的暴挙」の先には、さらに「自衛隊法改正」(改悪)
が待ち構えている。これからが「本番」と筆者は新たな覚悟を呼びかけている。従来の自衛隊からの決定的変貌がすぐそこまで近づいている。2015年通常国会には、さまざまな法改定が一括提案されるだろう。
筆者は言う。大いに学び、「読者こそ話題の主」になってくださいと。
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by tomcorder | 2014-10-22 16:30 | 日記