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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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  「福島原発事故・県民健康管理調査の闇」  日野行介著
                                   2013年9月刊
 ・・・未曾有の原発事故により放出された大量の放射能。住民の健康への影響を調べる福島県の調査の
裏で、専門家、行政担当者たちは一体何をしていたのか。秘密裏に会議を繰り返し、事前に調査結果に対
する評価をすり合わせ、議事録までも改竄-----。一人の記者が、<闇>に立ち向かい、調査報道でその
実態を明らかにする。・・・・<表紙帯書より。>
 2014年12月現在、福島第一原発事故より3年9ヶ月が経過した。放射性物質による内部被曝による
癌や白血病などの病気との因果関係を立証するのは、広島・長崎、ビキニ事件の被爆被害の例からも大変難
しい。しかし、それは「ない」というのとは全く違う。チエルノブイリ原発事故のあと10年を経過した時、
「甲状腺癌」のみ因果関係があることが認められた。今までに6000人の子どもが甲状腺癌にかかったと
報告されている。福島では15万人がふるさとを離れ避難を余儀なくされた。そんな中、筆者は2011年
5月より取材を開始した。発端となったのは、第五福竜丸事件で設立された「放医研」が始めようとした「
線量ネット調査」の資料公開が、はじめ1週間延期になり、次に1ヶ月延ばされ、「福島健康調査検討委員会
準備会」で「袋だたき」にあったあげく、公開中止になってしまったことであった。そして、福島権が主導
する形で、県民健康管理調査へと進んでいったのである。「何か圧力が?」筆者はそう感じざるをえなかった。
「放医研」の案が葬られたのは「不安を煽り、時期尚早」という県の言い分からだった。しかし、専門家
である岡山大学津田敏樹教授の言葉によれば「記憶が鮮明なうちに早く調査する必要があり、不安をあおるな
どで有効な調査をしないようでは、むしろ不満や不信を高める」という批判の声を上げている。
 「県民健康管理調査」とは主導権が県にあり、福島県立医大副学長の山下俊一教授が座長を務めて始まった。
調査の概要として①基本著調査200万人全県民対象と②詳細調査、一八歳以下の青少年36万人から構成さ
れていた。検討委員会が積み重なれてゆくうちに、筆者は「裏会議」の存在に気がついた。つまり表にでる「
本会議」を開催する前に「裏の会議」であらかじめ下書きを作っていたというのだ。「何のために」それこそ
問題である。筆者はそれを「秘密会議」と名付けた。表向きは日程もなく、公に知らされていないのだから正
に「秘密の」会議だったのだ。そしてその非公開の場で、重要な方針が決められ、民主的とはいえない手法で
健康管理調査が進められていったのだ。
「晩発性の被爆の影響」恐れているのはそのことだった。浪江町では県の働きかけを受け入れる以前に、「健康
手帳」を町民2万1千人に配布することを計画した。町長は「記録がなければ、医療につながらない」「町が責
任を持つしかない」と言っている。そんな中、2012年9月、第八回検討委員会の時、初めての甲状腺癌の患
者が確認された。以後患者の数は増え続け今では数十人の癌患者が確認されている。これが福島第一原発の事故
によるものかどうか、いまだに認めようとしない。しかしもう4年が経過しようとしているのだから、チエルノ
ブイリの事例と比較しても、被爆による発病かどうかを語れる段階に近づきつつある。もはや「スクーリング効
果」だけでは納得させられない状況になりつつあるのではないだろうか。
 安西育郎立命館大学教授は述べている「秘密会議は討論の封じ込めにつながる。県がいくら安全といっても、
県民は信じられず、調査の意味もなくなりかねない。」と。福島県医師会星北斗理事長も発言している「隠したい
という県の医師を感じた」と。会議進行のシナリオに当たる「進行表」の存在も指摘された。このシナリオに沿
って会議が進行された跡があり、「SPEEDI」の資料を国から送られたにも拘わらず県はデータを削除した。
2013年8月現在、「詳細調査」の基準も決まっていない。県や県議会もこれ以上追求しようとする姿勢がない。
と筆者は批判的だ。子を持つ母親の声がどうかが問題だ。とも語っている。
 今現在も甲状腺癌にかかる患者の数が増えているが、この検査に関連していくつかの問題点も指摘されている。
検査方法、判断についても疑問が持たれるし、情報公開も十分行われているとは言いがたい。患者や家族が不安や
不信を感じるようでは、趣旨がいかされているとは言えない。「検査項目」についても、疑問が残る。
はじめは4項目の検査項目で予定されていたのだが、「検査の効率化」のためか、「甲状腺の内部変化」と「血流の
状態」の2項目は削除されてしまった。会議の進行や公平性の観点からもいくつかの問題点があったようだし、メ
デイアに対しも平等性に欠けているとの批判もある。
広島・長崎そして第五福竜丸事件で等で内部被曝による被害の過小評価が問題にされてきたが、こと福島原発事故
に対しても、同じような問題が指摘されている。被爆をめぐる議論の共通性、被爆の影響を専門家はどう考えてい
るいのであろうか。
2013年8月現在一八歳以下17万5499人中、甲状腺癌の手術18人、癌の疑い25人。合計43人という
データーが報告された。今現在はさらにその数が増えつつある。この先をどう考えて行動すべきなのか。もう「待
ちの姿勢」では対処できない状況に入っているのではないか。
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by tomcorder | 2014-12-24 21:23 | 日記
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 「日本は戦争をするのか」~集団的自衛権と自衛隊~
                     半田滋  2014年5月刊

2014年7月1日安倍晋三総理の率いる第2次安倍内閣は、「執念の」というべきか、強引な手法で「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を断行した。歴代内閣が決して超えようとしなかった、戦後の「不文律」を先を急ぐように唐突に書き換える蛮行を決行した。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今正に「日本のかたち」を変えようと躍起になっている。政府は何を議論しているのか。現実的にはどうなのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛問題を取材してきた著者の渾身の一冊。というのが本書の帯紹で綴られている。
 著者半田滋氏は1955年生まれのジャーナリスト。下野新聞社を経て東京新聞の社会部記者、編集委員、論説委員を歴任。安倍政権の特質と問題点を辛口に分析し、我が国のあるべき姿を求め、鋭い視点から危険な領域に足を踏み入れつつある現状に強い警鐘、警告を発している。
 「日本は戦争をするだろうか」正にこれ以上の政治問題についてのテーマはない。この究極の疑問に対し、著者は「安倍政権が長く続けば続くほどその可能性は高まる」と開口一番断言している。憲法第9条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道筋が付けられるからに他ならない。と言い切っている。12月14日の衆議院選の結果を踏まえても、この言葉が現実化する恐れは日に日に高まっている、と考えるのは作者の言葉を待つまでもない。その作者の言葉を借りるなら、「国民の疑問に丁寧に答え、不安を解消して行くのが<政治家の務め>のはずだが、安倍首相は違う。国内においては<我が国を取りまく安全保障環境一層悪化している>と不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張り上げる。その一方で、過去の侵略戦争を否定するかのように、<侵略の定義は定まっていない>と公言し、米国のメッセージを無視して、靖国神社に参拝した。外交においては、中国、韓国ばかりか米国までも刺激し続け、安全保障環境を自ら悪化させている。・・・・・・」と手厳しい。しかし、客観的に見ればこれが「実像」であり、少なくても「世界の見方」は「安倍戦略は妥当」とは到底評価されていないだろう。それは各国の主要報道紙の取り上げ方からみてもうかがえることであり、世界の首脳会議での安倍首相と各国首脳との接触量の少なさからも読み取れることではなかろうか。
 「戦後レジームの脱却」などと手前味噌のキャッチフレーズを執拗に自己宣伝し続ける首相ではあるが、その言葉の裏には、個人的「怨念」とも言うべき偏向性が垣間見られるし、集団的自衛権行使容認にまで踏み込む過程、の背景を眺めてみれば、それは正に裏からコントロールを図る「ジャパンハンドラース」のシナリオそのものであり、単にその筋書きに沿って芝居を演じているにすぎないと映ってしまう。
 「脱却したい」のは自らの意志ではなく、アメリカのご都合主義でもある。「ハンドラーズ」たちの言葉の節々からも、アメリカの「国益」のための「集団的自衛権」であることは歴然としている。その意味でも安倍政権の「暴走ぶり」は「都合のいい限り」は「受け入れられる」かもしれない。しかし、日中の衝突、日韓の衝突を米国が本当に歓迎するはずはなく、勘違いした安倍政権が「脱線」すればすぐに「しっぺ返し」が返ってくることは容易に想像できる。米国から「強固な国粋主義者」と呼ばれている安倍首相の驕り、勘違いの数々と、自衛隊の活動の落差も本著には丁寧に解説されている。
 そして作者は結んでいる「集団的自衛権行使に踏み切っても、犠牲になるのは自衛官であって、政治家ではない。人命軽視、責任回避は旧日本軍の専売特許だったが、現代の政治家にも当てはまるのかも知れない。」

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by tomcorder | 2014-12-16 20:17 | 日記
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  「集団的自衛権の何が問題か」  ~解釈改憲批判~
                    奥平康弘・山口二郎編 2014年7月刊

*執筆者一覧*半田滋、御厨貴、長谷部恭男、柳沢協二、青木未帆、南野森、浦田一郎、
       永島朝穂、高見勝利、高橋和之、阪田雅裕、中野晃一、西崎文子、
       前泊博盛、岡野八代、丹羽宇一郎、村上誠一郎、北沢俊美*

 民主党政権から政権奪取した第二次安倍政権は、「積極的平和主義」なる国民と世界を愚弄する低劣な造語を掲げ、露骨な復古主義的政策を進め戦後の民主主義に対する不遜な挑戦を続けている。これは正しく、戦後の日本人の流した汗と努力への不敬の念の現れであり、歴史修正主義に魂を奪われた戦前回帰願望の亡者の自作自演シナリオとみることができる。日本版NSCの開始や国家安全保障法、特定秘密保護法、武器輸出3原則改悪・・・次々と、積極的ならぬ「破局的」平和主義をばく進する安倍反動政権はついに今夏、歴代政権が「超えるてはならない」としてきた集団的自衛権の容認とういう暴挙に踏み込んだ。もはや「平和主義」という範疇を超え立派な「軍国主義」の道を歩み出したのである。
 本著は「集団的自衛権行使容認」に疑義を唱える、各領域における論客が、それぞれの角度からの分析にもとづき、安倍政権の愚行を批判・告発している。どの論者から見ても、この判断、すなわち集団的自衛権の憲法解釈による行使容認を、まっとうな政府のとるべき行為とは認めていない。それは憲法学者、政治学者、ジャーナリスト、政治家、経済学者、マスコミ関係者・・・と幅広い層から共通して問題視され警告されている。なんと今の政権与党たる自民党の議員からも現政権に対する痛烈な批判がなされているのだ。
「安倍政権は何をやろうとしているか」
まず安倍晋三個人の持つ資質が問題視されている。周知のごとく、「岸信介の孫」という生い立ちが背負う政治的スタンスが、負の使命感となり、戦後続いてきた保守主義の正当性へのあからさまに疑い、攻撃を継続的に続けている。その色彩はきわめて復古的であり、立憲主義の原則さえ「古い時代の概念」と決めつけるほど常軌を逸している。このような危険きわりない政治信条、過度の権力の私物化の代償として、「国民の命と暮らし」が剥奪されようとしている。歴代の自民党政権の論理、さえ破壊する暴力的姿勢は、憲法に対する挑戦でもあり、論理の破綻どころか論理の破壊とまで言いうるレベルである。安倍晋三の言う「取り戻すもの」とは正しく「戦前」と判断すべきであり、日米安保の双務性に対する誤認識や修正主義的歴史認識等々、ますます日本を世界から孤立する方向に追いやろうとしているとしか見えない。最近では当のアメリカさえ「距離を置こうとする」姿勢が透けて見える。
 ニューヨークタイムス紙も再三に渡り、安倍政権の振る舞いに対し、警戒の念を表している。安倍の主張とは裏腹に世界一般は「不安定要素を増長させる因子となっている」と見ているのである。本人は強気のつもりかも知れないが、「現実を無視した危険な火遊び」を戯れているとの指摘もある。元内閣府に籍を置いた柳沢協二氏さえ、「集団的自衛権の必要性を証明することは至難であり、安倍首相は<集団的自衛権の名分のみ>が欲しいのではないかという。売名行為の犠牲になる国民は耐えられないはずである。
「立憲主義の破壊」は現に進行しつつある。我々は何ができるのか。<解釈改憲がなぜいけないか>については既に各所で指摘されているが、理論的にも歴史的にもその危険性は広く確認されている。これを否定することは紛れもなく時計の針を逆回しすることであり、紛れもなく現政権は「過去を向かって矢を放つ政権」としかとらえられない。内閣法制局はいわば「内閣の法律顧問」であり政府の「客観性」を維持するためにも必要とされていたのであるが、その人事さえ自己保全のために強引に介入する安倍政権の手法は、誰から見ても強権的であり、「禁じ手」の連発で政権維持を図る異常な姿勢自体が民主主義そのものへの挑戦とも受け止められる。
 集団的自衛権に関わる過去の事例、を大きく方向転換させようととする安保法制懇の動きは、安倍首相の私的意向を裏から支える特別機関になっており、歴史に学ぼうとすれば、その存在は正に「背広を着た関東軍」と評するのは早稲田大学の水島朝穂氏だ。集団的自衛権容認をなんとしても正当化しようとする法制懇の諸論議は武力行使解禁のための「詭弁のデパート」であり、その有り様は戦前の軍部に酷似しているというのだ。「隙間」だらけの「有識者」の思考と知識を厳しく批判している。「交戦権」がないのに、どうして他の国と一緒に戦争ができるのか、子どもで解る話だ。
 「国際環境の変化と集団的自衛権」
 新自由主義の台頭とともに我が国も大きな政治・経済の波が押し寄せた。小選挙区制の導入、国鉄民営化、構造改革、郵政民営化、・・・目まぐるしい変化に遭遇した。そんな背景のもと、第2次安倍政権は改憲(壊憲)戦略の敢行を開始した。混乱の社会情勢に便乗したのだ。・政権の矛盾に気づきつつも、alternaiveな歯止めとなる政党がない。・階級利益の追求に邁進する資本家集団・階級闘争の実像と手段を見失った既成政党。・・・という状況下で安倍晋三は「戦犯」を前に「戦争犠牲者」と言い放った。
 「米国との外交関係」からの集団的自衛権については西崎文子氏が論じている。日米関係においては、「国連中心主義」からの離脱が進んでいるという。集団的自衛権の自制はその危険性に警鐘を鳴らす効果があったと評価する一方、湾岸戦争以降権力政治への回帰が進み、日米関係は微妙な様相を呈していると説く。
 「沖縄からの視点」で集団的自衛権を語ればどうなるか。前泊博盛氏は訴える。2013年4月28日、戦後61回目の「主権回復の日」を迎え、安倍晋三首相は大祝賀会を開き、天皇、皇后両陛下の面前で「万歳三唱」を唱えた。しかし、サンフランシスコ平和条約が締結された4月28日は沖縄が本土から「見捨てられた」「屈辱の日」なのだ。奇しくも最近の資料から分かったことに、昭和天皇は沖縄のアメリカ統治、米軍駐留を自ら希望したという。これが安倍晋三の「歴史認識」か。ベトナム戦争時沖縄の基地から米軍機が飛び立ちベトナムを爆撃した。集団的自衛権の適用だった。韓国兵もベトナムに向かい、多くの死者が続出した。これも集団的自衛権の行使だった。時代は進み「イラク戦争」では10万人を超すイラク国民が殺害された。これも集団的自衛権の範疇ではないか。「軍は民を守らない」これが沖縄戦を体験した沖縄の人々の共通認識だ。憲法9条こそ「抑止力」と前泊氏は力説する。
 1939年生まれ、前駐中国特命全権大使の丹羽宇一郎氏は語る。「集団的自衛権を行使したいなら、憲法を改正するのが筋だという議論が出てくるのは当然でしょう。でも無条件で憲法改正しようなんて誰も言っていない。政治家も学者もメデイアも自らの責任に自覚を持って欲しい。国家権力というのは自己増殖する。特定秘密保護法・武器輸出3原則転換・集団的自衛権行使容認、ではそのうち一体何が起きるかということだ。」又、注目すべきは政権与党自民党にもこんな人がいる。元行革担当相の村上誠一朗氏だ。彼は「ワイマールの落日」繰り返すな。立憲主義を崩す前例を作るな。と安倍政権に公然と異を唱えた。「当然のことが通じなくなり、異端のものとして扱われるようになれば、もはやフアシズムだ」とも断言している。「集団的自衛権が日本に必要か」「歌を忘れたカナリヤに国会議員がなっている」「右舷に傾きすぎて沈没しかねない」まことに爽快な持論を持つ「自民党議員」だ。
 編者を代表して山口二郎氏は言う。「今回の解釈改憲を許せば、9条は無意味化する。解釈改憲で既成事実を作り、やがて条文改正を狙う。この点をとらえて小林節慶応大名誉教授は<憲法泥棒>と呼んでいる。」「憲法解釈を変える内閣決議は憲法への挑戦である。・・・・これから息の長い闘いが続く。」
「憲法と民主主義の危機を憂える市民に、闘うための確信を提供できることを願い、本著を編纂した」と結んでいる。


 
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by tomcorder | 2014-12-12 14:06 | 日記
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  日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか 
                                                矢部宏治著 2014年10月刊

著者矢部宏治氏は1960年生まれの編集者。慶応大学文学部卒業後博報堂勤務を経て、1987年より書籍情報社代表者として、書籍編集に携わってきた。特に創元社発行の「戦後再発見双書」という大ヒット策を世に送り出し、話題をまいた制作スタッフの中心人物である。この手の書籍としては「異例」の売れ方に「味をしめて」か今度は本人自らが執筆者となり、「基地と原発」という観点から日本の戦後史の実像を描き出そうとした「注目の書」である。
 3.11以降多くの日本人は「大きな謎」を解く旅をし始めたという。
何故巨大事故が日本で起こってしまったのか。
何故事故の責任者は誰も責任を問われず、被害者は正当な保障を受けられないのか
何故専門家や大手マスコミはこれまで「原発は絶対安全だ」と言い続けてきたのか
何故事故の結果ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか
何故明らかな健康被害が起きているのに、政府や一部の医療関係者はそれを無視し 続けるのか
これらの謎は元をたどって行くと、沖縄を中心とする「基地問題」とも共通する因子を持っていることにたどり着く。つまり、沖縄の謎であり、福島の謎であり、安保ムラの謎であり、原子力ムラのなぞでもあるのだ。そしてこれらの問題の背後にあるのは、戦後の70年にわたる日本の歩みを裏で糸を引いてきた部分でもある。戦争の終結期から現在に至るまでの米軍およびアメリカ首脳部と日本の諸政治勢力との関連性やもくろみ,戦後の昭和後期の天皇の振るまいと政治的立ち位置、平成に入ってからの日本の政治の勢力図等を、具体的史実に基づき分析し、作者は鋭くいくつかの「結論」を断定するに至った。それらはある物は驚きの事実であり、ある物は冷静な、推論の結果でもある。
 米国との関係を考えるとき、我々は「日米安保協約」はもとより、「日米地位協定」の存在にどうしても突きあたらざるを得ない。この条約の規定する条項により今なお我が国は「属国」的扱いに甘んじていると言わざるを得ない。沖縄や基地を抱える地域ではこれまで幾多の「屈辱的被害」を堪え忍んできた。数日前も沖縄で米兵によるひき逃げ事件が報道されたばかりだが、未だに「治外法権的扱い」が解消されていない。オスプレイ配備や航空管制の植民地的運用など、信じられないような取り決めが今も続いている。
 そしてこれは原発の運用にも、似たことが適用されている。「日米原子力協定」なる物が歴然として存在し、日本の意思だけでは原子力の今後をすべて決定するのが難しい足かせとなっている。「ジャパンハンドラーズ」なる言葉も耳にすることがあるが、現に米国は深く日本の政治的選択に関わってきたし、今も「日米合同委員会」なる組織を通して、「日本の振る舞い」をリモコン操作している。
戦後70年という月日を持ってしても、未だに終戦後のしがらみから抜け出せずにいる、我が国の政治的発育不良状態を健全な状態にどうしても取り戻さねばならない。
そのためには一人一人がどうするかを主体的に考え、勇気をもって行動することが必要不可欠ではないか。
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by tomcorder | 2014-12-11 00:12 | 日記