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渡霧吐夢世界

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薄暗く不透明な世に一条の光を求める一こま

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「集団的自衛権の焦点」     <限定容認をめぐる50の論点>
                                               2014年    松竹伸幸

 現在国会では、安全保障法案を巡って激しく与野党が対立している。何としても今国会中に戦争法案の成立を図りたい与党は、異例とも言える90日にもわたる長期の会期延長を決めた。戦後最長の通常国会となった。本法案の背骨となる集団的自衛権の容認に関しては、「違憲」であるとの非難がでており、リベラル野党は勿論、広く学者や文化人、有識者、元政治家等々、各界から政府の暴走を止めようとする声明が出されている。本書では、集団的自衛権容認に関わる疑問点や問題点を50の項目に絞り、質問に答える形式で、作者の解説並びに見解を簡潔に述べている。
 国会の内外でも様々な論議を呼びマスコミでも度々話題になった項目について明快な論拠を示し、わかり易く回答している。その基本姿勢は正しく「憲法にのっとって」であり、戦後の歴史を冷静に振り返り、現政権の脱線ぶりを鋭く論破している。
例えば、集団的自衛権が適用される「密接な関係にある国」とはまず米国以外には考えられないが、その米国は日本に対し集団的自衛権の行使を歓迎はするものの、「強要」はしていない。米国艦船を守るとか、「グレーゾーン」での出動とか、政府は苦しまぎれに浮足だった説明に終始しているが、これらは外国から見れば「軍事行動」と受け取られる可能性が強いと筆者は説く。
確かに中国の力任せの姿勢はアジア各国で緊張関係を高めてはいるが、日本の自衛隊が直接出動するようなことが起きれば、話はこじれることはあってもまとまることがないのは火をみるより明らかだろう。今まで我が国は「武力」を持って問題解決に当たったことはない。武力行使のないところに「武力」を使うことなど、憲法上は到底認められない。どんな紛争にも武力が使えると解釈するのは、ルール違反である。
集団的自衛権は国連憲章の理念にも矛盾する考えであり大国のエゴから生まれた、便宜的措置でもある。アメリカが集団的自衛権のもとにどのように侵略行為を行い、間違った殺戮を繰り返してきたかを振り返れば、この考えに組み込まれることがいかに危険であるか明白になってくる。
作者は主張する。「集団的自衛権」ではテロには対応できないと。
日本は70年近く非軍事に徹して国際平和に貢献してきた。この経験こそ日本の主張できる最大の戦略であり、安全保障の中心に置くべきである。
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# by tomcorder | 2015-06-30 21:26 | 日記
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  「東京ブラックアウト」        若杉列   2014年12月刊

 大反響を呼んだ「原発ホワイトアウト」に続く第2弾。前作発表時に話題になった通り、作者「若杉列」氏は現在霞ヶ関のとある官庁に勤務する現役官僚であるという。さぞかし「犯人捜し」が激しい勢いで進められたことと想像するが、その割には以後関連した人物の特定は聞いていない。初作が発表されたころ、某テレビ番組降板騒ぎでマスコミを賑わした元経産省完了のK氏ではないかとの憶測が飛び交ったが、本人がはっきり否定したという情報は流れている。「いずれ顔は割れてくるだろう」との大方の見方ではあったが、今になってもそれに関した情報をマスコミで聞いたことがない。まことに不思議で真偽のほどを疑いたくなる話ではあるが、まさかこの想定事態が「フイクション」だとしたら、それは読者に対する「背信行為」になってしまうだろう。
 「現役官僚」という説明の通りだとしたら、片手間で原稿が書けるほど官僚というのは「暇」があるのだろうか、という批判の目で作品を見たくもなる。フイクションとは言っても内容は実にリアルで、実名こそ出していないものの、まるで現実の政官界の出来事を綴っているかのような「臨場感」に満ちている。おそらく実態もこのストーリーに近い状態で進行しているのだろうと、容易に想像できる。本作品はなかなかのアイデアに触発されたストーリーで、単純に「フイクション」だとするととても好奇心をそそる、スリリングな展開で読む者を楽しませてくれる。しかし、内部事情を熟知した役人の目で綴った、ノンフイクション作品としてみれば、天下を揺るがす大告発ノベルとしての性格を帯びてくる。とても「笑ってはいられない話」になってしまう。
本書は「娯楽本」なのか「告発本」なのか?
スタイル的にはどちらとも取れるだろう。しかし、その内容の構成と生々しい政治の匂いからして、本書は日本の原子力ムラの裏表を描く「風刺本」であり、わが国の原子力行政や官僚社界への告発の書になっている。我々が見ている日々のテレビや新聞の報道の「裏側」はおそらくこれに似た筋書きになっていると思わざるを得ない。
 現政権への厳しい問いかけが続く昨今、「裏の世界」で本書のようなやり取りがされているとしたら、原発は我が国の骨組みを溶かす「亡国のシステム」と言わざるをえない。文字通り我が国は原発とともにメルトダウン、メルトアウトする運命にあることは避けられない。
「世界レベルの安全基準」を超え、再稼働にばく進する我が国の原発政策。落とし穴は限りなく存在する。次回の大規模事故が発生すれば、間違いなく「国の形」が変わる。運が悪ければ沈没ならぬ「日本消滅」の事態になる。
戦争も原発事故も一部の人間の悪意によって始まり、一部の人間は真っ先に逃亡し、責任を免れる場に身を隠す。
 本著は筆者が忙しい日々の仕事の合間を割いて、世に投げかけた、原子力村の闇の「裏側を描き出すガイドブック」のようにも読める。ガイドブックが手に入れば、ひょっとして、間違った道を進み自爆しないような進路を、選択することが可能になるかも知れない。
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# by tomcorder | 2015-06-14 18:59 | 日記
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  「国家の暴走」       古賀茂明 2011.9月刊

 全国に名前の知れ渡った元経産省官僚の古賀茂明氏の昨年秋に発売された注目の書。最近の話題では、「ニュースステーション」出演での「Iam not Abe 」
発言や番組への政府からの圧力あるなしに関しての暴露発言、古館一郎キャスターとの激論対決等々、テレビ以外のメディアに大いに「露出」を繰り返してきた人物である。その姿勢については賛否両論あるようではあるが、本著は氏の姿勢、主張を真っ向からぶつけた入魂の一冊になっている。
 タイトルが率直に示している通り、安倍政権への対決、挑戦の書であり、現政府の進む方向に対し根本的に否定的な見解を示し、我が国の進む方向性に警鐘を鳴らしている。確かに著者の言う通り、安倍政権の辿ってきた道、現在の状態を検証すると、かつての自民党政権とは大分在り様が変わってきている。
特に安全保障面での暴走が突出しており、集団的自衛権の閣内容認に始まり、果ては徴兵制の可能性や核開発までも懸念されるような、極めて危険性制の高い匂いを漂わせており、今まで超えられなかった高いハードルを一挙に超えようとしている最中ともみることができる。言葉では「平和のため」といいつつも、その裏で世論操作に迷走し、メデイアを動かし庶民をごまかし爆走せんとする息遣いを生々しく感ずることができる。
 経済的に割に合わないといわれている徴兵制を合法化するための、国防軍規定や軍法会議の復活により、若年層の軍人不足を補うために、憲法上の要請から兵員を要請できるようになる可能性さえ先には見えている。
 秘密保護法や日本版NSCがセットで効力を見せるようになり、4人の閣僚の判断で国民の生命が危機にさらされることが可能になる。たとえその事態に至っても秘密保護法で閉鎖的になっており、説明責任は果たされない。
 今安倍政権は正に「アメリカと一緒になって闘う日本に変身」する意欲に満々であるが、この変身にメリットはないと氏は言い切っている。氏の言葉によれば安倍晋三は経済に見合った軍事大国たる「強大国」に仲間入りすることを心から願っており、日米共通の価値観で安全保障を進めようとしているが、果たしてそれが真に、日本を守るために必要だろうか、疑問であり実益がないと思われる。
 中国の脅威を暗にほのめかし、持論を推し進めようとしているが、米国の本音は中国の刺激を増長するような安倍の暴走には懸念を示している。また安倍政権はその根拠として日米安保の双務性を重視しているが、現実問題として史上最強の軍事国家米国に「戦争を仕掛ける国」などあるだろうか。現実は日本が米国に利用されるだけだろう。米国は利益があるから安保を継続しているに過ぎない。これまでも我が国は米国にとって多くの基地を提供する「防波堤」となってきた。莫大な土地と資金を惜しみなく捧げてきたのだ。
 又、現在の日本の雇用状態が続けばいわゆる「経済的徴兵制」も考えられると語っている。弱い者に負担が押し付けられる社会的システムは原発のそれと同値である。「生活的恩典を与え徴兵制を実行する」というのはあり得るパターンだ。アベノミクスでいうところの「第3の矢」も中身がないと容赦なく批判する。株価対策での経済活性化は海外の投資家が利するだけであるという。
派遣法の改定(改正ではない)にみる新し雇用の在り方についても、政府は規制基準の改革により「よりよい転職」が進むと叫んでいるが、結局は経営者にとって都合が良くなるだけで、「首切りしやすい」状態を産むだけだと遠慮なく切り捨てている。確かに実質賃金下がっているのだから、購買力は上がるわけもなく、「待っていれば給料が上がる」というのはウソといわれても仕方あるまい。円安も逆効果であり、輸出企業だけがメリットを得るものの、長続きはしないだろうと見積もる。
 テレビ番組降板で話題を蒔いた「政権とメディア」に関しても、安倍政権は本人までも関与し、PRして稼ぐという。プレゼンに力を注ぎ、マスコミトップに圧力をかけているという。なるほど安倍総理は新聞界テレビ界の幹部クラスと頻繁に会食会を持っている事実は、歴代政権と比較しても度を越しており、他国の政権で類例も稀である。
 本著が出版されたのは昨年秋であるから、それから間もなくテレビ番組出演を降板させられた事実は、本著と全く無関係とは言い難いだろう。ここ数日の国会での審議の実態を見ても、古賀氏の説く「国家・政権の暴走」が当を得ているかどうかを容易に判断できるのではないだろうか。

            
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# by tomcorder | 2015-05-31 16:57 | 日記
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「米軍機墜落事故」     河口栄二      朝日新聞社     1981年9月30日刊

 本著は1981年秋に出版された。今から34年前、戦後36年経った時期である。およそ終戦と現在の中間に位置する時点と言える。従ってここに掲げられている資料は、戦後の日本の足跡の「前半」に起こった事実と言える。ではこの日本戦後史前半の時期に在日米軍の起こした事故はどれくらいあったのだろうか。本著P.51 ~P.57には、昭和24年~昭和52年における米軍機の事故が記載されている。一般的な日本人がこの事実を知った時いったいどんな感想を持つだろうか。作者が追った記録によれば、昭和20年から昭和52年9月までの米軍機による邦人犠牲者は64人に上るという。これだけ多数の犠牲者が続いていたことをどれだけの国民が認知していたであろうか。報道によって広く伝えられたような事故については記憶に残っているものも在るかもしれないが、時が経過する中で世間から次第に忘れ去られ、一人一人が「痛み」を感ずることに麻痺している状態になってはいないだろうか。
 本著では、主に神奈川県を中心におきた何件かの傷ましい米軍機墜落事故の一部始終を取り上げ、在日米軍が起こした事故の悲惨さと、被害者の実情とその後の経過を正確に伝えようとしている。正に「なんの罪もない人びと」が突然、惨事に巻き込まれ、想像を絶する苦しみと格闘し、不本意にも帰らぬ人となった例も少なくないのだ。仮に命は助かったとしても、その後幾多の足かせの中で生き続けることを余儀なくされた。またその家族や関係者も、全く予期せぬ運命を重く背負って生きてゆくことになった。すべては安保条約や日米地位協定に起因する事故であり、被害者の保護、賠償、生活支援に関しても、とても十分な手立てがなされたとは言えない状況が続いた。
 1964年4月5日、厚木基地周辺に位置する町田市原町2丁目商店街に米軍機が墜落し、死者4人、重軽傷者32人の惨事となった。さらにこの時事故に巻きこまれなかった、吉田肉店の主人の妹Tさんはその後、米兵の運転する車に撥ねられ、命を落とすことになった。「公務中」の判断を受け国が全面賠償を行うことになった。
 同じく1964年の9月8日、厚木基地近隣の大和市上草柳6丁目の「館野鉄工所」の付近に米軍機が墜落した。館野鉄工所の主人館野政盛氏の息子3人を含む死者5人、軽傷者4人の被害をもたらした。何とこの日は、厚木基地の軍用機が別の場所でも墜落し、乗務員が死亡していた。その後館野鉄工所は、国からの指示でその場から移転することを余儀なくされ、苦難の道を歩むことになった。順調に家業を発展させ将来を夢見ていた経営者が全く自分の責任とは無関係なことで、人生を狂わされ、悲運な運命をたどることになってしまった。
 1981年9月30日、横浜市緑区の住宅地に米軍フアントム機が墜落。幼児を含む死者、重軽傷者9人が被災した。フアントム機は下限高度より低い高度300m以下で飛んでいた。厚木基地から航空母艦ミッドウエイに帰還する途中であった。米全空母のうち、海外に基地を持つのは横須賀港を母港とするミッドウエイのみである。米軍機と我が国の民間機との飛行空域は想像を絶する過密な構図になっていて、今現在も常に事故の危険性が危ぶまれるほど複雑である。戦後70年も経つというのに未だに植民地並みの状況である。
 幾多の犠牲者を生み、今もなお我が国を縛っている、日米の軍事同盟の実態を変えてゆかない限り、今後も悲惨な事故が起こり得る。沖縄だけでなく、我が国が戦後払ってきた犠牲は多大なものがある。「日本の若者も血を流すことを覚悟しなければ対等な関係とは言えない」などと血生臭い発言をする閣僚が後を絶たない。これだけの日本人が戦後も「血を流し」「理不尽な犠牲を払ってきた」ことを国の指導者たちはどう自覚しているのだろうか。余りにも米国追従的な政治姿勢ではないか。
 きな臭い話題が登場するようになってきた、最近の政治状況だが、平和憲法下でも、こんなに不合理で暴力的な事件が多発し、我が国民の権利と安全はないがしろにされてきたのだ。いまさら「憲法を変える」などと言う前に、現に目の前にある不合理をなぜ正そうとしないのか。軍事力を増強したところで、庶民を米軍から守れなければなんの意味もないではないか。
 
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# by tomcorder | 2015-02-08 18:12 | 日記
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「検証・法治国家崩壊」<砂川裁判と日米密約交渉>   
                            吉田敏浩   新原昭治   末浪靖司
                                       2014年 7月26日刊
「最高裁大法廷で起こった戦後最大の事件!1959年12月16日、日本国憲法はその機能を停止した。最新の解禁機密文書が暴露する、アメリカ政府の工作とは?」
 表紙の写真は、最高裁大法廷における口頭弁論の風景である。正面中央が裁判長田中耕太郎長官。「在日米軍の存在は憲法違反」とする1859年3月30日の東京地裁「伊達判決」を受け、最高裁に跳躍上告された砂川事件上告書は9月7日、口頭弁論が開始。審理は異例のスピードで行われ、12月16日、「米軍駐留は合憲」の逆転判決が言い渡された。(表紙カバー解説より)
 1959年3月末から4月にかけて、世の中は4月10日に予定されていた皇太子成婚パレードの話題で盛り上がり、いわゆる「ミッチーブーム」の真っ只中にあった。しかしその大セレモニーの陰で、戦後史に大きな傷跡を残す歴史的な大事件が起きていることなど一般人は気づくすべもなかった。それは1959年3月30日に下された東京地検における砂川事件の伊達秋雄判決の衝撃から始まった。この判決を聞いた当時のアメリカ駐日大使マッカーサー2世は即座にこの判決の結果を受け、時の国務長官ジョン・フォスター・ダレスに公文書の打電をした。(米国の情報公開により2008年新原昭治氏発見)大使はプレス向けには「当大使館がコメントするのは不適切である」と表面を整えながらも、現実的にはすぐに当時の藤山外務大臣に連絡を取り、翌日の早朝に大使との面会をした。その日の午前に閣議が予定されていたため、その前に政府の考えを確認し、アメリカの意志を伝え従わせる必要があったのだ。翌日の4月1日にも藤山外務大臣との2回目の密談を行い。日本政府が最高裁への跳躍上告を予定していることを確認し、本国に「迅速な処理に向けて圧力をかけている」と公電を打っている。さらに驚くべきことに、マッカーサー大使は閣僚との密談のみならず、こともあろうに、司法の最高責任者たる最高裁の長官とも密談をし、アメリカの外圧を加えていたのだった。皇太子成婚の華やかなブームの陰にこの様なショッキングな政治的策略が交わされていたということは、日米外交史の上からも、我が国の政治姿勢の根幹からも、重大な汚点を残す結果となった。
 砂川裁判を巡る日米の駆け引き、野合は「米軍の特権を守るため」の米政府の我が国の司法への干渉であり、裁判の姿勢、観点、時間的扱いに至るまで、具体的に圧力をかけ、日本政府をして、米国の論理に従う僕として傅かせる、「裏の法体系」の実在を世に知らしむ、「見せしめ」となった。異常ともいえる短期間の審議の中で、最高裁のとった基本的な考えは「裁判所に安保条約を判断する権利はない。」ということであり、米軍を超法規的存在として認めるというものであった。別の言い方をすれば、日本国民の「法益」より米軍のそれが優先される、という屈辱的なものであった。いわゆる「統治行為論」であり、米軍に「治外法権」を認める「安保法体系」の優先する判決は、「日本が戦争に巻き込まれる危険があり、日本国憲法に違反する」とした「伊達判決」を全面否定するものであった。この判決以降、米軍をめぐる幾多の事故が起き、少なからぬ悲惨な犠牲者が続出しても、「日米地位協定」を後ろ盾として、米軍の犯した罪を日本の法律で、国内法の基準レベルで裁くことは実質的には実現していない。住民運動などの盛り上がりはあったにせよ、現実としていまだに「治外法権」的実態は解消されていない。戦後70年が経過しようとしているのに、このような「属国的境遇」に甘んじている国が他にあるだろうか。
 安倍政権は「集団的自衛権」問題に触れ、「集団的自衛権」の解釈は「砂川裁判判決で決着済み」と豪語した。しかし砂川裁判の何が「集団的自衛権」の容認に繋がるというのだ。それどころか、「砂川裁判そのもの」が日米の闇取引の産物であり、時の政権中枢、司法、と米国との黒い黒い癒着が実物資料で明らかになっているではないか。こんな裁判の結果を「金科玉条」のごとく掲げること自体、異常であり、自己矛盾を自ら認めることではないのだろうか。
 砂川最高裁判決を下した田中耕太郎最高裁長官を登用したのは吉田茂総理大臣だった。当時田中耕太郎長官のライバルとして候補に挙がっていた一人に真野毅という人物がいた。彼は日本国憲法の考え方について次のように語っていたそうだ。「戦争放棄、戦力不保持は国際情勢の変化を口実として、憲法解釈の名の下に、時の政府の便宜主義によって覆し得るものではない。」誠に慧眼である。65年も前に現在を予見しうる人物がいたということは驚きだ。
 スポーツの世界では金メダル獲得や世界記録を出した選手でも、事後ドーピング検査や八百長などの不正が発覚・立証されれば、メダルや記録は登録抹消、没収され選手としての生命も奪われる。しかるに国を揺るがす大裁判に不正行為が立証されたら、どうなるのが健全な社会か?今この世、日本はきわめて不健全な空気の中にいるのではないか。
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# by tomcorder | 2015-01-21 18:52 | 日記